木々が外界を遮断する、カレギア一の大樹海。
それが迷いの森だ。
昼間にあっても、日の光さえ満足に通さない鬱蒼としたそこは何人の侵入も許さぬと言わんばかりだ。
その森に、足を踏み入れた者がいた。
カサリカサリと落ち葉を踏んで、草を掻き分け突き進む。
道は『無い』と言っても過言ではない程の獣道。
生い茂り、伸びきった植物達が侵入者の進行を妨げる。
その度に侵入者は背中の鞘から大剣を抜いて進路を阻む『門番』達を両断した。
侵入者は青年だった。
背は高く、その身体にふさわしい筋肉をつけていて、顔は秀麗。
木漏れ日をキラリと輝かせ纏う髪の色は氷のように美しい銀髪。
時折、その髪が風に揺れ、彼の肩に乗るオレンジ毛のマフマフをくすぐった。
そのように麗しい美丈夫が何故このような樹海に足を踏み入れるのか。
訊ねた所で、青年は答えなかっただろう。
今の彼はその『目的』にしか意識が無い。
ただ森に入った理由だけを胸に彼は歩いているのだ。
青年は蒼穹の瞳を森に向ける。
・・・いや、見ているのは森ではない。もっと先だ。
何処に『居る』のかもわからない目標を見つめているのだ、しっかりと。
止まっていた足をまた動かして、青年は歩き出す。
銀の髪を揺らしながら、森の奥へ奥へ消えた。
迷いの森の中心には一本の大樹が生えている。
その樹は迷いの森の神木のような存在らしく、他の木を抜いて遥かに大きく、
何本もの枝がまるで森の木々を抱きしめるように四方八方に広がっている。
その大樹の周りだけ、先程の薄暗く寒々とした森とはまったく違う空間に来たと思えてくるのだ。
そこは、外界に比べてしまえばまだまだ暗いが、他の場所よりもずっと明るく、温かかった。
大樹からのいくつもの木漏れ日がライトのように辺りを照らしていて、
とても神秘的で、ヒトが足を踏み入れてはならないような神聖なものにさえ思えてしまう。
・・・そう思えてしまうのは『大樹の空間だから』というだけではないと、青年は何となく思った。
大樹の根元に瞳を向ける。
青年に背を向け座った何かが居た。
・・・・・・青年が捜し求めていたものだ。
それは少女だった。
雪のような白銀の長い髪が少女の細い身体を包み、あまりの長さに大地を這っている。
日の光に照らされ、髪が月光のように白く輝いた。
彼女の傍らには紫色の、毛並みの良いマフマフが寄り添っている。
・・・しかし、どちらもこの場所に侵入してきた青年の方を見る事無く、ただ一点に目を向けていた。
一歩、青年が足を出す。
少女との距離は30メートル程度。
少女は青年を見ない。
もう一歩、二歩 青年が足を進める。
少女との距離は25メートル、20メートル、15メートル・・・と確実に縮んでいく。
10メートルとなった辺りで、青年は少女が何を見ているのかをやっと確認出来た。
盛られた土に立てられた頭一つ分程の大きさの石。
『墓』なのだとは一目で分かった。
石に立てかけられた、変わった形状の十字架があったから。
・・・しかしそれは『十字』ではない。
十字にしてはやけに飛び出した箇所が多い。
それを装飾なのだと言ってしまえばそれまでだが、装飾とは表現出来そうも無い『一画』がその十字架にはついていた。
それだけじゃない。十字架は細身で、錆びていた。
とても質素で、簡素な墓。
・・・それでもそれが大切な者の墓である事は、いつまでも侵入者に目を向けない少女から見て取れる。
二人の距離が5メートルまで差し掛かった所で青年は足を止める。
もう一度、その奇妙な十字架を見た。
10メートルと5メートル。
半分の距離に狭まっただけだが、それが十字架ではないと確信するには充分だった。
十字架ではない。
柄は装飾が落ちて汚れ、刃はこぼれて錆びた・・・・・・レイピアだった。
「・・・・・・引き取り手が誰もいなかったんだ」
青年に振り返らず、やっと少女が言葉を呟いた。
朽ちたレイピアの事ではない。
このレイピアの下に眠る者の骸の事だ。
「だから、私が引き取って墓を立てた。
・・・こんな地味なので申し訳ないけど・・・適当な葬儀の後の適当な供養なんてさせたくなかったから・・・」
「・・・・・・」
青年も初めて言葉を呟いた。初めては少女の名前だった。
「何も出来なかったから・・・このくらいはしたかったんだ・・・・・・ヴェイグ達の旅に参加出来なくて、ごめん」
「・・・気にしていない」
青年、ヴェイグは答えた。
ヴェイグと仲間達は破滅の者ユリスを倒してから、世界を再誕させる旅に出た。
・・・そうは言っても何も凄い事をしたわけではない。
ヒトと話し、和解して、協力して、元の関係に戻って新たな関係を作り上げただけだ。
完全とは言えないが、人々は互いを理解し絆を生んだ。
・・・自分達はそのきっかけを作ったに過ぎない。
しかし、そこにの姿は無かった。
『どうしてもやりたい事がある、ごめん』
・・・短く告げて、は消えた。
旅を開始したのは今から一年前。
・・・つまり、ヴェイグとの再会は一年ぶりとなる。
なのに、は彼に振り返らない。
ただ一点、墓を見つめているだけだ。
「旅は終わったのか?」
「あぁ、終わった。皆が力を合わせて世界が生まれ変わってきている。 だから・・・・・・」
ヴェイグはを強く見つめた。
「ここに来た」
「・・・どうしてだ?」
ヴェイグを見ない、を見るヴェイグ。
「まだ、生まれ変われていない『バカ』がいる」
そう言ってヴェイグは苦笑を浮かべた。
洩れた吐息から悟ったか、自身のフォルスで感知したのかそれは分からないが、が呟く。
「・・・笑えるようになったんだな」
「あぁ」
「・・・良かった」
純粋にはそう思った。
ヴェイグの心の氷が溶ける日を待ったのはも同じだ。
「また笑えるようになったのは皆のおかげだ。皆がいたから俺は笑える」
「良かった」
呟く。
また歩き出すヴェイグ。
距離は4メートル、3メートル。
「だから今度は・・・」
2メートル、1メートル
「お前の番だ」
ゼロ 。
言葉と共にを後ろから抱き竦めた。
「・・・ヴェイグ」
「・・・ずっと」
をきつく抱きしめるヴェイグの両腕。
そのうち片方の右手が伸ばされ、の左頬に添えられる。
濡れた。
「ずっと、サレの為に独りで泣いていたんだろう?」
の両頬を伝うそれは涙だった。
紅い紅い血の涙だった。
サレの亡骸を引き取り、迷いの森に辿り着き、彼の墓を立て、は泣いた。
伝えられなかった想いを届けるように、伝えられた想いに応えるように涙を流し続けた。
それから今までずっと彼女は泣いている。
普通の涙はもう枯れ果てた。
だから、彼女の涙は血になった。己の身体を流れる血を流した。
自身を削る命の涙になっていた。
「・・・もう充分じゃないか」
呟きと共に右手が動く。
の目を覆い、瞼を伏せさせた。
「充分、サレに応えただろ」
「でも、私は・・・」
「・・・何故サレはお前を庇ったと思う。何故自分に治癒術をかけさせなかったと思う?」
身体を抱く左腕に力が篭った。
「に、生きて欲しかったからだろう?」
「―――――――――― !」
涙が、止まった。
「生きるんだ、。全てを乗り越えて生きていくんだ。・・・それがサレへの一番の応えになるんじゃないか?」
弱々しく、ヴェイグの左手にの左手が重なった。
「・・・都合の良い・・・考えだ・・・・・・・・・」
「・・・かもしれない」
の細い身体がヴェイグへ寄せられた。
目を覆っていた右手を離し、寄せられた身体を強く抱いた。
「、俺は生まれ変わって欲しいと思う。笑ったり、怒ったり、泣いたり・・・その全てを俺は見たい。 お前の傍で いつまでも・・・」
「・・・ヴェイグ?」
初めて、互いの顔を覗き込んだ。
蒼と紅が絡み合う。
ヴェイグが微笑んだ。
「・・・ずっと・・・俺の隣に居てくれないか?」
「・・・!」
驚いて双方の紅玉を目一杯 開く。
ヴェイグの微笑が一瞬だけ苦笑になった。
だが、
「・・・大好きだ」
はっきりと想いを告げる時にはまた笑っていた。
「・・・・・・・・・」
「どうなんだ?」
固まっている腕の中の少女に訊ねる。
「・・・・・・一緒に居て、良いのか?」
呆けながら訊くに、また苦笑。
「質問に質問で返すのは感心しない」
ユージーンの言葉を真似れば、頬を赤くして睨まれた。別に怖くは無い。
「・・・わかってるクセに」
そう言ってからは微笑んだ。
やっと笑った。
ヴェイグが立ち上がる。
一歩 二歩と歩き、と距離を作る。
5メートル。
最初に立ち止まった位置で立ち止まり、振り返り、右手をに差し出す。
「行こう、」
「・・・何処に?」
「スールズに、俺の家を建てたんだ」
「・・・家?」
不思議そうに訊くに、笑って頷く。
「皆に手伝ってもらって、やっと昨日完成した。ちょっと小さいが、良い家だ」
「何で家なんか・・・クレアの家があるだろうに・・・・・・」
本当に不思議に思っているらしく、が首を傾げた。
「だから迎えに来たんだ。を」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ!!?」
しばし、思考。
そして、意図に至った。
つまり、それは――――――――
「ヴェイグ!お前、それって・・・!」
叫ぶに、ただヴェイグは笑った。
「お祝いにポプラおばさんがピーチパイを焼いて待っている」
早く行かなければ、マオとティトレイに全部食べられてしまうぞ、と言葉が続いた。
「帰ろう、 俺達の家に」
「・・・・・・お前って奴は・・・・・・」
ハァー――と長いため息を吐く。
その後、すぐに目の前の青年を見つめて、微笑んだ。
「バカだな・・・」
立ち上がる。
一度だけ、小さな墓に振り返った。
「・・・サレ様、 私は いきます」
言葉を告げては歩き出す。手を差し出した蒼い瞳の青年の元へ。
大樹の上には、これからの二人を暗示させるように、二匹のマフマフが仲睦まじげに身を寄せ合っていた。
そして 僕らは 再誕する
Tales of Rebirth
Fin.