『ミルハウスト 私、海が見たいわ』
幼い頃、アガーテが自分に言った言葉だ。
まだアガーテが少女で、自分が剣もまともに振れぬ程に非力な少年だった時代の事だ。
アガーテはカレギア国の姫という身分であったがために思うままの行動が出来ず、自由はなかった。
子供の頃のアガーテは王族らしく品があったがお転婆な所が多く、
よく城からの脱走を計っては失敗し自分を巻き込んでは一緒に叱られた。
城を抜け出そうとするアガーテはいつも口に出して言ったのだ。
『海が見たいわ』と。
・・・だから、ミルハウストはアガーテの墓を海の見える丘に作ったのだ。
いつか、きっといつか自分がアガーテを外へ連れ出して海を見せてあげよう。
幼い頃、ミルハウストは自分自身にそう誓った。
・・・まさかこんな形でその誓いを果たす事になるとは思わなかったが。
そんな事を思いつつ、ミルハウストは目の前の墓石に王冠と、ピンク色のバラを添えた。
バラはアガーテの好きな花だった。
ピンク色を選んだ理由は、生涯変わる事の無い自分の気持ちを愛しいヒトに伝え、同時に誓うためだ。
しばし墓石の下に眠れる愛しき人を見つめるように、ミルハウストは墓を見る。
やがて、踵を返し身体を反転させれば、先で佇んでいるのはヴェイグ達。
海風に誘われるようにヴェイグ達の元へ歩んだ。
「・・・まだ、種族の争いは続いている」
ヴェイグの呟きにが頷いた。
「憎しみや悲しみがすぐに消える事はない。いつまでも心に突き刺さっている事だってある。
・・・でも、私達はそれから逃げてはいけない。乗り越えなければならない」
ミルハウストが言葉を紡ぐ。
「・・・この国が、生まれ変わる為に」
続いてユージーンが口を開いた。
「我々ヒトは、新たな関係を築き上げなければならない。時間はかかるかもしれんが出来るはずだ」
彼の隣に寄り添っていたアニーが微笑んだ。
「はい。私もそう思います。分かり合える時が来ます。私達がそうだったように」
ユージーンとアニーが見つめ合う。
この二人も長い時間を経て絆を作った存在だ。
「私達は同じヒトです。災いに立ち向かう為 皆が心を一つにしたあの時、世界中のヒト達がそれを知ったはずです」
クレアの言葉に、その通りだとミルハウストが頷いた。
「生まれ変わる・・・か。どんな国なんだろうな」
ティトレイは笑って空を見上げた。青く澄んだ空がとても綺麗だ。
ヒルダが苦笑して手を頭のターバンに添えた。
「少なくとも・・・こんな事をせずに済む世の中だと信じたいわね」
添えた手を曲げる。指に巻き込まれてターバンが外れた。
取れたターバンの位置から獣のような耳と、折れた角が現れる。
・・・もう隠したりしない。
ヒルダは微笑を浮かべる。
ふと、強い潮風が吹いてターバンがはためく。
ターバンを掴んでいた手をそっと開くと、風がターバンを何処ぞへと攫っていった。
「・・・・・・手を貸してくれないか」
そう言ったミルハウストに、ヴェイグは静かに首を横に振った。
一瞬、呆気に取られたミルハウストは、自分の胸の辺りに何か人影を確認して視線を下ろす。
・・・マオだ。
「やり方は違っても、ボク達が目指す所は同じでしょ?」
マオは笑う。
道は違えど辿り着く場所は同じだと。
・・・思いは同じなのだと。
「アンタが作る道をヒトは進む。その道標になれるような気がするんだ。俺達なら・・・」
ヴェイグが言う。
そして、
「そう・・・俺達・・・・・・だから・・・」
微笑んだ。
ずっと心に覆っていた厚い氷がようやく溶けた。
長い長い冬が終わり また、春が来た。
溶ける氷の巻。
氷は溶け、やがては春に。