クレアはベッドで眠るヴェイグを静かに見下ろしていた。
血にまみれていた彼の身体はクレアの手によりすっかりと綺麗になっていて、昼の出来事が嘘のようだった。



惨劇となったヴェイグの暴走が静まって数刻。外は茜色に覆われていて、もう太陽は眠りにつこうとしている。



ヴェイグは未だ目を覚まさない。
窓から侵入してくる茜の光に包まれた彼の顔は顔色が良いのか悪いのかも判別できない。

その頬をそっとクレアは撫でた。



「・・・・・・ヴェイグ・・・やっぱり・・・今のままの私じゃ・・・ダメなの?」

ヴェイグがずっと苦しんでいたのをクレアはずっと知っていた。
自分の為にずっと一人で抱え込んでいたのを知っていた。


頬を撫でられたヴェイグは小さく呻くと、その手を拒絶するように顔を逸らした。



「・・・・・・・・・違う・・・・・・お前は・・・・・・・・・クレ、アじゃ――――――――」

「・・・・・・!」


ただの魘された声だ。分かっている。
だが、それはクレアのした問の答である事も、分かった。


「・・・・・・ダメ・・・なのよね・・・・・・・・・」


クレアの声が震える。呟いた瞬間に涙が溢れた。
一筋、二筋と頬を伝って、やがてそれはヴェイグの頬に落ちた。



違う。彼は私の為に苦しんでたんじゃない。

私の『せいで』、ヴェイグは苦しんでいたんだ・・・・・・。


私が傍に居れば、またヴェイグを苦しませてしまう。もうこれ以上自分のせいで彼を傷つけるなんて、嫌だ。


「・・・・・・苦しませて、ごめんね・・・・・・」

もう一度、頬に触れようと手を伸ばす。
・・・が、それが『彼の望む手』ではないことを悟り、行き場を失う。

ゆっくりとその手を己の元に戻して、クレアは座っていた椅子からゆっくりと立ち上がった。


「・・・今まで、ありがとう」
「・・・・・・・・・」


ヴェイグからの反応は無い。それで良い。とクレアは思う。


このまま残って彼に付き添いたいと思う自分を叱咤して、扉に向かう。
そっとドアノブを回せば扉は簡単に開いた。

最後にもう一度だけ、寝台に横たわる大切なヒトを見つめた。






「・・・・・・・・・・・・・・・・・・さよなら」



パタンと小さな音を立て、扉が閉まった。































闇の中でボゥッとクレアが現れる。こちらを真っ直ぐ見るクレアに笑顔は無い。

どうしたんだ?いつもみたいに笑ってくれ。太陽のような温かいお前の笑顔が好きなのに。


ヴェイグの思いに応えず、クレアの顔がくしゃりと歪んで翡翠色の透き通った瞳からポロリと涙がこぼれた。


・・・クレア?


「・・・・・・苦しませて、ごめんね・・・・・・・・・今まで、ありがとう」


・・・・・・・・・どういう事だ?


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・さよなら」


クルリと身体を反転させてクレアは歩き出す。
呼びかけようとするが声が出ない。追いかけようとすれば足が動かない。


お前が俺を苦しめた?違う、違うんだ。お前は何も悪くない。俺が悪いんだ。

だから、だから行くな クレア。


――――――――――――――――――― クレア!





「クレア!!」

やっと声が出たと思えば、窓から差し込む白い光が最初に目に入る。・・・眩しい。

・・・・・・眩しい?


無意識に思ったことにふと疑問を感じ、ヴェイグはゆっくりと辺りを見回した。
質素な造りの木製の部屋で、片隅には娯楽用の本が数冊入った本棚と、観葉植物。

・・・ココはミナールの宿屋だ。


「・・・そうだ・・・俺は暴走して、それで・・・・・・」


呟いて何となく、違和感のある頬を撫でる。乾いた水分の塊がパラリと剥がれた。



・・・・・・・・・涙?


「・・・クレア!?」



隣に居ない存在に気がついて、ヴェイグは自分の横になっていたベッドから飛び起きた。
キキィと足元でザピィがヴェイグを呼ぶ。


「ザピィ、クレアは・・・クレアは何処に行ったんだ?」
「・・・キキィ・・・」

シュンと耳を下ろすザピィ。
その様子を見て、クレアがいなくなってしまったのだとヴェイグは理解した。


一体何処へ行ってしまったのだろうと必死に考える。




『私、お父さんとお母さんに会いたくなっちゃった・・・』






「・・・・・・スールズか?」

以前、クレアの言っていた言葉を思い出す。両親の元へ行ったのだろうか。



ならば、北だ。




ヴェイグは仲間達に知らせることもなく、ザピィを肩に乗せると宿を飛び出した。




























クレアは何も悪くない。俺が悪いんだ。


頭の中で必死にそう言い続けてヴェイグは走る。

仲間に何も告げずに出てきてしまった。皆に言った方が良かっただろうか。


ふと、まだ山から半分顔を出した程度の太陽を見上げ、その考えを打ち消した。


・・・まだ早朝だ。きっと自分の暴走を全力で止めてくれたのであろう仲間達を起こすのは忍びない。
疲れて眠っているに違いない。

それに・・・・・・


「これは、俺の問題だ・・・」


仲間を巻き込んではいけない。・・・ヴェイグなりの考えだった。



走って走って走り抜いて。ようやくエトレー橋まで辿り着く。クレアの姿は見当たらない。

その代わり、橋の先には銀の鎧を武装したミルハウストが行く手を遮っていた。
長い橋の向こうに見えるミルハウストはヴェイグの位置からは人形サイズだ。


ヴェイグの姿を確認したミルハウストは鞘から剣を抜き出してその切っ先を真っ直ぐヴェイグへと向けた。



「・・・・・・抜け」




その声は距離の離れたヴェイグには届かない。
だが、ミルハウストの立ち振る舞いと唇の動きで意味を悟ったらしい。

肩の上のザピィをそっと降ろすと、背中から大剣を引き抜く。



刃を構え、駆け出したのは同時。橋の中央で二人の刃が交わって鍔迫り合いとなる。


「来る頃だろうと思っていた・・・!」
「どけ!!俺はクレアを・・・」

「彼女なら私の所にいる」
「何!?」

キィンと高い音を響かせて互いの刃が一時、離れる。


「どういう事だ!?返せ・・・クレアを返せっ!!」

言って、大剣をミルハウストへ振るう。難なくその刃は受け止められた。


「彼女は自らの意思で私の元へ来たのだ!」
「何だと・・・!?」

怯んだ一瞬を見逃すことなく刃を押し返す。


「苦しみから逃れるためではなく、お前をこれ以上苦しめないために」
「俺はっ!」

もう一度、鍔迫り合い。


「・・・今のお前の隣に、彼女の居場所はあるのか?」
「・・・!」

また、押し返される。


「それで連れ戻すと言うのなら、その覚悟、私に見せてみろ!!」


ミルハウストの剣がヴェイグに向かってくる。
薙がれた剣を体勢を低くすることで避けて、反撃に大剣を振るう。

ミルハウストは頭を逸らして直撃は避けるものの、刃が被っていた兜を掠めた。
兜は飛ばされ、隠れていた金色の髪が下りてくる。頭を振って、視界を覆った髪を退けて、
再び向かってきた刃を受け止めた。


「刃の軌道が完全に読める・・・」
「何をっ!!」

また刃を離して、間合いを取る。
互いに剣を構え直した。


「迷いを抱く剣は誰も守れない。・・・己を蝕み、愛する者達を傷つけるだけだ」
「・・・くっ・・・!」


先に動いたのはヴェイグだった。



「ほざけぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


ミルハウストは剣を構えたまま動かない。ヴェイグの刃が迫る。
先端がミルハウストに触れる直前で、ミルハウストは刃を振り上げた。


いとも簡単に、ヴェイグの大剣を弾き飛ばす。

迷いの剣はあらぬ方角へと飛んでいく。


「我が命技とくと受けよ!!」


ミルハウストの神速なまでの連続斬りが剣を持たぬヴェイグを襲う。

斬って突いて、斬って突いて。ヴェイグの鎧が粉々に砕けるまで、斬り続ける。
最後の一撃で吹き飛んだヴェイグは起き上がる様子を見せることも無く、地に崩れた。

倒れたその身体にザピィが駆け寄る。
ピクリとも動かぬことを心配して呼びかけるザピィの姿を見て、ミルハウストは言う。


「大丈夫だ。急所は外した。・・・死んではいない」


意識はまだギリギリあるだろう。もう一度口を開いた。


「・・・ベルサスでお前は誰を救ったのだ?」


刃を鞘に収めて、ミルハウストは歩き出す。






ミルハウストがその場を去ってすぐだろうか?結構経ったのだろうか?
それは分からないが、ゆっくりと沈んでいく意識の中、ヴェイグは確かに見た。

クレアの靴。クレアの暖色の赤い服。

・・・・・・自分を見下ろすクレアの姿。







・・・・・・・・・クレア・・・





























再び、ヴェイグが目を覚ましたのはまたもやミナールの宿屋のベッドの上だった。
違ったのは、着ていた鎧がなくなった事。・・・時計が昼過ぎを差していた事だ。

無くなった鎧からアレは夢ではないのだと理解して、宿の外へ出た。



















「あ、ヴェイグ」

扉を開けてすぐにマオの声。他の皆も一斉にヴェイグを見た。


・・・・・・だけ、見当たらない。



「・・・は?」

アニーに訊ねると、少し俯いて言い辛そうに一言言った。


「・・・・・・疲れて・・・眠ってます・・・・・・」
「・・・そうか・・・・・・」


まだ眠っているのか。
心の中で呟いて、ふと視線をアニーから別に向ける。


・・・ユージーンの隣に、『クレア』が居た。


「・・・・・・クレア、なのか・・・」

ゆっくりと近づいてまじまじと見る。
『クレア』は他人行儀にヴェイグに会釈すると、名乗った。



「・・・・・・・・・私はアガーテです」
「・・・!」



少し、浮き上がった希望が潰れた。



「陛下がお前を助けてくださったんだ」

エトレー橋で倒れていたヴェイグをアガーテが救って、ミナールまで運んだのだとユージーンが言った。
ヴェイグは「そうか」と呟いて、アガーテの手を掴んだ。


「俺と一緒に来てくれ。・・・ミルハウストの所にクレアが居る。アンタのフォルスで・・・」
「・・・・・・私はもう・・・フォルスを使うことが出来ないのです・・・」

アガーテの口から絶望的な言葉が紡がれた。目を見開いて、何故とヴェイグは訊ねる。


「わからない・・・何度も試しました・・・でも、どうやってもフォルスは・・・・・・」


ごめんなさいと小さな謝罪がヴェイグの耳に入った。



だが、それでも・・・・・・



「・・・それでも構わない・・・アンタと引き換えなら、ミルハウストはクレアを返してくれるはずだ!!」



「・・・・・・・・・それで良いのか?ヴェイグ・・・・・・」



弱々しく声がかかる。ハッとアニーが宿の入り口に駆け寄った。
ヴェイグが振り返って見たのは。








アニーに身体を支えられた、包帯を何重にも巻いただ。



上半身は包帯以外、普段着けている首輪程度しか身に着けていない。
思わず、マオは目を逸らした。


肌を晒している事に対しての羞恥からではない。
肩から腹にかけての包帯、左腕を覆った包帯。その痛々しさに目を向けられなくなったからだ。




「・・・何故、クレアがお前の前から・・・消えたと思っているんだ?」
「・・・・・・何?」

「・・・無理矢理連れて帰る事なら出来るだろう・・・・・・でも、そんな事では解決にならないだろ。お前も、クレアも・・・・・・」

ガシリと握りつぶしそうな握力での右肩を掴んで、ヴェイグは鋭く睨みつけた。


「何もわかっていないクセに・・・知った口を利くな!」



に言葉をぶつけてヴェイグは叫ぶ。


「どんな姿をしていたって構わない!俺がクレアを守ってやらなきゃ・・・」
「・・・・・・・・・」





見たくない。
は言葉にするより先に瞳を閉じて顔を逸らす事で意思表示した。


「・・・・・・私が行けば、クレアは貴方の所に戻ってくるのですか?・・・本当に?」


そう言ったのはアガーテだ。
何を偉そうに。自分の事を棚に上げて・・・!

・・・・・・・そう思った。




「クレアがこんな事になったのはアンタのせいじゃないかっ!!」
「・・・お前は何もわかっちゃいねぇ」


もう一度アガーテの元へ歩いたヴェイグの前を、ずっと黙っていたティトレイが遮る。
アガーテを背に隠し、ヴェイグを真っ直ぐ見つめ、ティトレイは言う。



「・・・ツラかせよ」
「どけっ!俺は――――」
「ツラかせって言ってんだ!!」

そんな暇無いと一喝しようとすれば、逆にティトレイに一喝され、胸倉を掴まれた。
ティトレイに怯えたわけではないが、その気迫に負けてヴェイグが折れる。

ヴェイグが落ち着いたのを見て、ティトレイは掴む手を放して、告げる。



「・・・海岸で待ってるぜ」



















・・・海岸で何をするというのだろう。


ちっとも見当がつかず、ヴェイグは考える。
いくら考えてもティトレイの思う所は分からない。

・・・直接ティトレイの所へ行った方が早いだろうか、やはり。

そう思ってヴェイグは海岸へ歩を進める。


・・・途中、宿屋を見上げた。


はアニーに連れられて、もう一度宿で眠りについたようだ。


・・・・・・のあのヒドイ傷・・・一体何があったのか・・・・・・

先程はクレアの件に夢中になってしまっていたから特に気に留めていなかったが、
いつの間にあんな深い傷を負ったのだろう。・・・ミナールに来たばかりの頃はあんな傷なかった。



・・・・・・・・・・・・まさか・・・



「・・・ティトレイが・・・待っている・・・・・・」


己の出した嫌な予想と確信から逃げたくて、ヴェイグは海岸に向かった。


ヴェイグVSミルハウストの巻。
OPみたいな描写で書きたかったんだけど難しいよね。

クレアの事しか見えてないヴェ。
ミルハウストにボロ負けするヴェ。
夢主の傷の原因も分からんヴェ。

もうホント、ウチの小説のヴェはダメな子過ぎて申し訳ないです・・・
そんなワケで次回はたっぷりティトレイさんに殴られていただきましょう☆