・・・・・・海が、青い。


そんな当たり前な事をぼんやりと頭に浮かべてふっと消して・・・そんな繰り返しばかりだ。
『バビログラードで待つ』というシャオルーンの言葉に従い、ヴェイグ達は定期船に乗り込んでいた。



皆が新しく仲間入りした『クレア』と話している中、ヴェイグは一人甲板に立って海を眺めていた。

・・・一人になっていたかった。


守りたいと思っていた少女の裏切りに対する怒りと傷心の混じった自分の気持ちを誰かにぶつけてしまうような事をしたくなかったからだ。
今はとりあえず一人になっていたいだけなので、特に考え事はしていない。だから頭が行き着く場所が延々と『海が青い』なのである。


「ねぇ、ヴェイグ」

重たいため息を吐いたのと同時に、ヴェイグは名前を呼ばれた。
誰だろうと振り返って見ると、質素な服に身を包んだアガーテが笑顔で佇んでいた。




「アニーとヒルダさんに選んでもらったんだけど・・・似合うかしら?」
「・・・あぁ、よく似合っている・・・・・・・・・・・・クレア」

ヴェイグはアガーテ―――アガーテの『姿』をしたクレアに向かって表情を柔らかくして答えた。
その答えに良かったと言ってふふっとクレアは弾んで笑う。


『アガーテ』のしていた格好は城で儀式を行った時と変わらぬ服装をしていた。・・・つまり、ドレス。
アガーテの姿をしていて、更にドレスまで着ているとなれば「アガーテではない。クレアだ」と言っても誰が信じるだろう?

せめて服装だけでも変えて『アガーテ』に見えないようにした方が良いと考え、定期船に乗る前にベルサスの服屋へと寄ったのだ。

ヴェイグは改めてクレアの身に纏う服を見た。


クレアにはあまり似合わないと思われる寒色を基調とした服だったが、『姿がアガーテ』であるクレアにはよく似合っていて美しい。
クレアに似合わないはずなのに、似合っている。




何故か?・・・・・・クレアがアガーテだからだ。



ふと浮かんできた結論を否定するために、ヴェイグは強く頭を振った。

・・・確かに今のクレアはアガーテの姿をしているが、アガーテではない。・・・クレアは、クレアだ。



「どうしたの?ヴェイグ」
「・・・いや、何でもない」
「・・・・・・・・・ね、ヴェイグ」

ヴェイグの心情を薄々悟ったのか、クレアは別の話をしようと口を開いた。





さんの、コトだけど」
「・・・っ!」

出された名前を聞いて、ヴェイグの顔が強張った。それでも、クレアは続ける。


「・・・悪く思わないであげて?私は大丈夫だったんだから」


「それに、」と言って、反論しそうなヴェイグを止めてから、またクレアは続けた。


「私が私だって誰よりも早く気づいて、助けに来てくれたのはさんだったの・・・」
「・・・?」

ヴェイグが訊くと、クレアは笑って頷いた。

「あの協議の前の日に・・・助けに来てくれた。その時は私が行こうとしなかったから・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「明日また来るって言ってくれたの・・・私がスカラベさんを説得する時間をくれたのよ」


言って、ヴェイグの肩に乗るザピィを撫でた。気持ち良さそうにザピィがその指に擦り寄る。


さんは皆の心を守ろうとしたんだと思う。誰も傷つかない一番の方法を考えたんだと思う。
 ・・・一番辛かったのは、さん自身だと思うの」


クレアは言った。



は誰も悲しい思いをしないやり方を一人で考えたんだと。それを実行したんだと。
・・・・・・何よりも辛く苦しかったのは本人だったのだろう・・・と。





「それなら・・・尚の事・・・俺に言ってほしかった・・・・・・」

全てを聞き終えて、伏し目がちにヴェイグは呟いた。


「・・・きっとヴェイグを一番傷つけたくなかったんだと思うわ」


クレアの困ったような顔を見たくなくて、揺れる海の波を見つめた。
























定期船を降りて、大地に足をつける。
バビログラードに到着したは良いものの、肝心なシャオルーンの居る位置がわからなかった。

さて如何したものかと悩んでいた一行の中で、何かに呼ばれている気がすると言ってゆっくり歩き出した者がいた。

・・・・・・だった。





は立ち止まることなくずんずんと街の奥へ進んで行き、やがてピタリと止まった。


「・・・ココだ」
「ココって・・・蒼の聖殿だよね?」

マオは言いながら立ち止まった場所を見上げる。

蒼の聖殿。バビログラードで信仰されている『蒼獣信仰』の総本山である。
が言うには、ココからシャオルーンの声が聞こえたらしい。





聖殿の中に入れば、すぐに聞こえた無邪気なシャオルーンの声。
幼さの残る、少年のような声だ。

『待っていたよ、ヴェイグ!皆!!』
「俺は何をすれば良い?」

『率直に言おう!ヴェイグ、これからボクは君に三つの試練を与える。それは君にとってとても辛いものだ。
 その試練を乗り越えたら、ボクは君に力を与えよう!・・・やるかい?』

一拍置く間もなくヴェイグが頷く。


「当然だ。俺はその為に来た」
『君の覚悟、しかと受け取った!・・・じゃあ一つ目の試練に行くよ!』

もう一度、頷いた。

『最初の試練はボクの所に来ること!』
「・・・それだけか?」

『ボクの元に着いた時、同じことが言えるかな?・・・ふふふっ!さぁ、おいで!!』


シャオルーンの声が消えたと同時に、床から地下への階段が現れた。

















寒く薄暗い地下通路を進んで行く。天井から滴る水滴が通路をより寒くした。
クレアは寒くないだろうかと案じてヴェイグが後ろを振り返った時、背後の景色は己の故郷、スールズだった。

幻であることはすぐにわかった。
これは今までティトレイやマオ、アニーが見せられた『聖獣の試練』と同じであることも。


「ヴェイグ、見て!」

しかし、そうは解っていてもクレアが笑顔を浮かべているのを見ると、どうしようもない安息感を抱いてしまう。


幻だと、わかっているハズなのに。



クレアの方を見れば笑顔で蒼月石を差し出してきた。・・・・・・昔の誕生日祝いだった。

「川辺で見つけた綺麗な石に飾りをつけてみたの。ちょっと早いケド、誕生日のプレゼント!」
「ありがとう、クレア」

クレアの手に収まっている蒼月石に触れようと手を伸ばすと、指先が触れた瞬間、クレアごと消えてしまった。
突然姿を消したこと慌てて、クレアを探す。



「クレア?・・・クレア!」
「ヴェイグ、見て」


声をした方を見ればアガーテが・・・・・・・・・いや、アガーテの姿をしたクレアが微笑んでいた。
アガーテの身体をしているが、きっとクレアだ。


その証拠とばかりに彼女の肩にザピィが乗っている。




アガーテの姿をしたクレアもまた、ヴェイグに蒼月石を差し出してきた。

「川辺で見つけた綺麗な石に飾りをつけてみたの。ちょっと早いケド、誕生日のプレゼント」

アガーテの声で、アガーテの身体で、クレアは先程と同じように蒼月石を渡してきた。
クレアだと解っているのに、アガーテの姿で言われたことに、ヴェイグは戸惑う。



その様子を見て、何か不具合があったのだろうかとクレアは申し訳なさそうに俯いた。

「・・・もしかして、気に入らなかった?ごめんなさい・・・」

悲しそうに瞳を伏せるクレアに気づいて、すぐにヴェイグは首を振る。


「いや、そんな事はない・・・・・・ありがとう、クレア」


キョトンと目を丸くして、クレアは言う。

「・・・クレア?わたくしはアガーテよ」
「・・・アガーテ?クレアじゃ、ないのか・・・?」

「嫌だわ、ヴェイグが冗談を言ってる。明日は雨が降るかもしれないわね、ザピィ!」
「キキーッ!」

まったくだと言わんばかりにザピィは鳴いて、『アガーテ』に擦り寄った。一層、ヴェイグは戸惑う。



「そんな筈は・・・お前は、クレアだろう・・・?」
「どうしてだ?・・・どうしてクレアだと思ったんだ?」

・・・」


気がつけば『アガーテ』とザピィは消えていて、いつの間にか現れたと二人きりの空間になっていた。
は冷たくヴェイグに微笑んで続ける。


「ザピィが肩に乗っていたからか?誕生日プレゼントを渡してきたからか?」
「・・・違う・・・クレアはアガーテと入れ替わったから・・・・・・だから――――――」
「・・・過去の記憶・・・か。自分の見たものを信じた結果だな」


一歩。はヴェイグに近づいた。
異様な威圧感を感じて、自然とヴェイグは一歩後ろへ下がった。


「なぁ、それは結局外見≠見ただけじゃないか?」
「そんな事は・・・!」

「無いとは言えない。現にお前はザピィを見て、蒼月石を見て、自分の記憶を見て、アガーテをクレアと判断した」
「・・・っ違う・・・違う、違う・・・っ!」




















「・・・違うっ・・・・・・!!」


苦しげにヴェイグが呻いた。その様子を見て、ティトレイが言う。

「・・・始まったんだな?ヴェイグ」
「・・・あぁ・・・そうらしい・・・・・・」

一息吐いて、まだ続く通路の先を見た。


「・・・先へ急ごう」















ヴェイグが次に見たのはベルサスのジャンニ橋。以前ココではクレアの姿をしたアガーテと話しをした。

前方を見れば、・・・やはりいた。


「・・・貴方が大切なヒトに同じことを言われたら・・・・・・・・・どうする?」
「・・・ヒューマだとかガジュマだとか・・・そんなに大事な事なのか?」

ヴェイグはヒューマの『クレア』に訊ねた。コクリと頷いたのを、確認する。


「えぇ、大事だと思うわ。ヒューマに愛されるためにはヒューマの身体が必要なのよ」
「・・・・・・お前は、クレアではないんだな」

クレアが、自分の知るクレアがこんな事を言うはずが無い。
そう思って、ヴェイグは呟いた。

それを聞いて、ヴェイグの目の前のヒトは悲しげに眉を寄せた。

「・・・どうしてそんなコト言うの?私は私・・・クレアよ!」
「違う!お前はアガーテだ!・・・クレアじゃないっ!!」


「やめてっ!私はクレアよ!ホラ見てヴェイグ・・・この目、鼻、唇・・・ね?貴方の知ってるクレアでしょう?」












「違う!お前はクレアじゃないっ!!」


地下通路中に響き渡る程の大声でヴェイグは否定した。
その様子を見て、彼が聖獣に何を見せられているのか大方見当がついて、クレアは俯いた。

「・・・ヴェイグ・・・・・・」
「・・・いや、すまない・・・違うんだ・・・・・・今のは、お前の事じゃなくて・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・いいの、ヴェイグ・・・・・・いいの」


訂正してくるヴェイグへ、気にするなとクレアはゆっくり首を振った。

















大分奥へと進んで、またヴェイグは『見た』。

今度見たのはゲオルギアスを倒した瞬間の、あの時だった。


「クレアー―――っ!!」


「ヴェイグ!助けてっ!!」
「クレア!」


名を呼んだ『クレア』をしっかりと抱きしめた。


さぁ、早く逃げなければ―――――


「待って ヴェイグ!」



また自分を呼ぶ声が聞こえて、ヴェイグはそちらに振り向く。『アガーテ』が真っ直ぐ自分を見ていた。


「私はココよ!貴方ならわかるでしょう?ヴェイグっ!!」
「クレア・・・!?じゃあ、お前は誰だ・・・?」

腕の中の『クレア』を見た。


「クレアよ・・・?ねぇヴェイグ、私はクレアよ。クレアでしょう?」
「そうだ、クレアだ・・・クレアだ・・・・・・でも、クレアじゃない・・・っ!」

「ヴェイグ!姿は違うケド、私がクレアよ!わかるでしょう?」


『アガーテ』の姿をしたクレアが声をかけてきて、ヴェイグは頷いた。

「クレアだ・・・お前がクレアなんだ・・・・・・でも・・・でも、お前もクレアじゃないっ!」





『姿』がクレアと『心』はクレアも、どちらもクレアであることには違いない。

だが違う。クレアであるのにクレアではない。


二人の『クレア』が同時に訊ねた。





「「じゃあクレアって何なの?貴方が言うクレアって誰なの?」」





























ガツンッと鈍い音が木霊して響く。驚いて、マオとアニーは後ろを歩いていたヴェイグを見た。
ヴェイグの拳と、彼に殴られた壁の間でパラパラと壁の一部が剥がれ落ちる。

壁を殴りつけて響いた音を追いかけるように、叫んだ。


「お前は何が言いたいんだ! 答えろっ!シャオルーンっ!!」

「・・・・・・ヴェイグ。ごめんなさい・・・・・・」


苦しむヴェイグをずっと黙って見守っていたクレアが、謝る。


苦しめて、ゴメン・・・と。

すぐにヴェイグは首を振って否定した。その必死さが、痛々しい。


「違うんだ・・・クレア、俺が・・・・・・・・・・・・すまない・・・」








「・・・ヴェイグ」


気まずい空気の中、今まで彼と距離を開けて歩いていたが凛とした声で名を呼んだ。
そのまま、ゆっくりと歩み寄って、手を伸ばせば触れられる距離まで近づく。

「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」


暫し互いに蒼と紅の瞳を見つめ合ってから、はヴェイグの頬に手を伸ばした。



周りで傍観していたユージーンやマオ達、手を伸ばされたヴェイグ本人でさえ、彼女の行動は頬を包み込むのだろうと思った。
しかし、は一同の予想を大きく裏切り、伸ばした手で軽くヴェイグの頬を張った。

ペチっと軽い音と共に頬にジンとした微弱な痛みを感じたが、すぐに消えた。



「・・・私は誰だと思う?」
「・・・・・・・・・だろう?」


何を言っているんだと言葉にするように答え返す。
はその返答に無言のまま、隣にいたティトレイの頭のサークレットを取り上げて徐にそれを自分の頭へと装着した。


再度、ヴェイグに問う。



「私は誰だ?」
「・・・だから、だろう?・・・・・・ティトレイのサークレットを着けた所で、だ」

「・・・・・・そういう事じゃないのか?」
「・・・!」


『何が』とは、は敢えて言わなかったが、それでもヴェイグには何かわかった。


「・・・お前は以前、私は私だから何も変わらないと言ってくれた。・・・それと同じじゃないのか?」
「・・・・・・あぁ・・・そうだな・・・」


まだ迷いが完全に払拭されていない状態だったが、ヴェイグは頷いた。

彼女の言葉に大分救われたからだ。




・・・そうだ。はこういうヤツだった。
誰よりもヒトの心を読み取るのが敏感で、誰よりもヒトの心を理解する、ヒト。



「・・・さて、行くか」


ティトレイにサークレットを返してから、身体を反転させては先へと歩き出す。
その彼女を追うようにヴェイグが声を出した。




!・・・・・・・・・・・・その・・・・・・・・・ありが、とう・・・」



ぎこちない礼に、は苦笑を送った。


ヴェイグの試練の巻。

この辺のヴェイグの苦しみ方は見てて辛いよね。それと同時にクレア連発に抱腹するんだ(笑)
試練の描写書いててすごく楽しかった。

ヴェイグと夢主は少しだけ仲直り。え、何?仲直り早い?気にするなっ!(オイ)
確かに騙されたと思ったけど、怒ってたワケでなくて、悲しかったんだよ。
つまり離れてるのはヴェイグ自身辛いんだよ。無自覚だけど。

夢主は誰も悲しくない方法を考えた。
アガーテが責められない、クレアを助け出す。ヴェイグに心配をかけない。思念を優先する。
それをまとめてできるやり方を実行していたんです。・・・結局スカラベさんのせいで崩壊したけどね。


話上仕方が無いけど今回「クレア」の単語が異様に多い・・・。
ヴェイグのセリフの中でクレアを数えても20回超えてたよ!(爆)