ガジュマの治療が出来るかわからない。
その言葉を出しかけたアニーを救うかのように、宿屋に運ばれた患者はヒューマだけであった。
これなら・・・と内心安堵の息をついて、アニーは的確に一人一人に手当てを施していく。
最後の患者の止血が完了して、宿屋の患者全ての治療は終わった。
きっと残りの重傷者やガジュマの患者はキュリアやが治療してくれる。・・・そうであってほしい。
そう心の中で祈っていた時、ミーシャが宿屋へ駆け込んできた。
突然のガジュマの出現にビクリと身を強張らせる。
「アニーさん!今すぐにユージーンさんの所へ行ってください!さっきの兵隊さんがかなり危険な状態なんです!!」
顔の強張ったアニーに気づかず、ミーシャが叫んだ。
「キュリア先生はどうしているんだ?」
アニーに付き添っていたヴェイグが代わりに応答する。
「キュリア先生は他の患者さんで手一杯で・・・今、さんの治癒術で何とか保ってます!」
「の!?」
治癒術とはいえ、要はの血を他人に分け与えているようなものだ。
早く彼女の元へ行かなければ、身体中の血を失ってしまう。
――――――が、死んでしまう・・・
想像してヴェイグは身が凍った。
ネレグの塔の一件で彼女に不信感を抱いたとは言え、自分の中でが『守りたい存在』であることに変わりは無かった。
だから、最悪の事態が訪れないためにも早く彼女の元へ行かなければ。・・・勿論、危篤状態だというあのガジュマ兵のコトも心配だが。
「アニー、行こう!」
宿屋に向かう時と同じように、アニーを促した。
しかし一方のアニーはどこか遠い目をしていて、たった今のミーシャの話を聞き流したかのように手をダラリと下げて佇んでいた。
「アニーさん急いで!!」
もう一度、ミーシャに催促されて、アニーはまるで足に鉛でも纏わりついているような重い足取りで一歩一歩ゆっくりとヴェイグ達の後を追う。
私が今から治療するのは『患者』・・・ガジュマじゃない『患者』だわ。
そう心の中で何度も呟いて。
「っ!」
駆け込んだそこが民家であることも忘れて、ヴェイグは声を張り上げた。
小さな家屋であったのですぐに自分が呼んだ名の少女は見つかった。
見つけた少女―――の傍らにはユージーンとクレアがいて、三人で一つのベッドを取り囲んでいた。
「・・・うるさいぞ、ヴェイグ」
悪態をつきながら、背を向けていたが振り返る。
彼女の姿を見て、ヴェイグ達は驚愕した。
彼女の左腕にはまるで掘ったかのような抉り傷が作られていた。その傷からは、紅い洪水。
雪の様に白い肌はその洪水とは反対色の青白い色をしていた。額には玉を作った脂汗。
色の悪くなってしまった唇からは弱く喘ぐ吐息が漏れる。
治療するのは軽傷の者にだけ―――そう言っていたが、傷の深い者にも治癒術をかけていたのだろう。
容易に想像が出来た。
「・・・・・・その傷・・・」
「だから・・・私は大丈夫だ。・・・・・・・・・気にするな」
何と声をかけて良いのか分からないながらも言葉を紡いだヴェイグに素っ気無くは言葉を返すと、アニーの方を見る。
「・・・それよりアニー、そいつを・・・」
「アニー急いでくれ!どんどん具合が悪くなっているようだ!!」
とユージーンに言われるままにアニーはベッドに近づいた。
自分が見つめる寝台の上では痛みに呻く『患者』が一人。
その患者は毛皮で全身を覆っていて、尻尾があって、猫みたいで・・・自分とは姿が違う。
・・・そう。このヒトは『患者』ではない。
自分の父を殺したあのヒトと同じ―――――『ガジュマ』だ!!
「・・・・・・私、お薬もらってきます」
そう思ってしまったら治療なんて出来っこなかった。適当な言い訳を作ってこの場から逃げ出そうとした。
―――私が治療しなくてもきっと助かるわ。きっとキュリア先生かさんが何とかしてくれる。
・・・それに、ガジュマだもの。早々に死んでしまうことなんてない。『きっと』
ベッドの上の『患者』に背を向けたアニーへユージーンは声をかける。
「薬ならここにある!早く手当てをしなければこの男は・・・!」
「・・・できませんっ!・・・・・・私には・・・ガジュマの治療なんて・・・!!」
アニーは大きく叫んだ。叫んで、患者を拒絶した。
命を見捨てようとする彼女にヴェイグが問う。
「アイツの命と俺達の命の何が違うんだ?『命に色はない』とはそういうことじゃないのか?」
―――『命に色はない』―――
この言葉はアニーの父、ドクター・バースの口癖だったらしい。
怪我をしていれば、病を患っていれば善人でも悪人でも構わず治療をしていたドクター・バースだからこその口癖だ。
アニーはその言葉を誇りに、目標にしていた。
だが、アニーは首を強く振った。整った髪形が揺れて崩れる。
「わかりません!もう私には・・・わからないっ!!」
寝台で苦しんでいるのは『患者』だ。怪我をしている『患者』だ。治療をしてくれる医者を求めている『患者』だ。
だが、『患者』である前に『ガジュマ』なんだ。自分から父を奪った『ガジュマ』なんだ。
だったらどうすれば良いの?『患者』だから治療すれば良いの?『ガジュマ』なのに助けて良いの?
『なぁ、アニー。将来医者になった時、ガジュマの患者が来たら、お前はどうするんだ?』
・・・以前、ヴェイグに言われたあの言葉をふと思い出す。
どうするだなんてどうすれば良いの?どうしたら良いの?如何しろと言うの??
『解らない』と投げ出したアニーを追い詰めるように、彼女の耳へガジュマ兵の断末魔のような叫び声が無理矢理入ってくる。
それを聞いて、は立ち尽くすアニーを押し退けた。
「どけっ!命を差別する医者など不要だっ!!・・・・・・・・・・・・っ!」
「!」
真っ赤になった左腕を押さえながら床に崩れそうになるを、咄嗟にヴェイグが支えた。
その動作に重なるようにガジュマ兵は腕を弱々しく持ち上げてユージーンに向かって敬礼をした。
腕が真っ直ぐに伸びていない上にガクガクと小刻みに震える何とも形の悪いそれは何よりも立派で美しく見えた。
「隊・・・長・・・・・・あとは、頼みます・・・・・・この国を・・・カレギアを・・・・・・」
「・・・ダメだ!死ぬな!頑張れ!目を開けるんだ!!」
ユージーンは必死に呼びかける。意識を手放そうとするガジュマ兵に何度も何度も。
しかし、呼びかけるユージーンに逆らって、ガジュマ兵はゆっくりと瞼を閉じると、敬礼の腕を落とした。
ベッドのシーツへ落ちた腕が、立てた小さな音が部屋中に響いた。
ユージーンの中で親友を失った時のことが思い出された。
・・・ちょうど、目の前の状況と同じだったあの時。
『・・・あとは頼んだぞ・・・・・・アガーテ様を・・・アニーを・・・』
『・・・ダメだ!死ぬな!頑張れ!目を開けるんだ!!バース!バース・・・!!』
「バース死ぬなっ!!」
思わず、ユージーンはそう叫んでいた。
その悲痛過ぎる呼びかけに、アニーは気づかされる。
父、ドクター・バースが死んだ時、自分と同じようにユージーンが悲しんだ事を。
『命』にヒューマやガジュマといった区別はない。名前はない。・・・皆同じなのだ・・・と。
気づいたから、同時に涙が溢れた。
「・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・・・・私、皆同じ命で・・・命に色は・・・・・・ないのに」
後悔の涙だった。自分に対しての怒りの涙だった。
「・・・私は・・・見殺しにしてから・・・気づくなんて・・・!」
「アニー・・・」
かけてやる言葉が思い浮かばず、名だけを呼んだヴェイグに続けて、彼に支えられるが訊ねる。
「・・・で、どうするんだ?」
の言葉。
彼女を知らない者ならばなんと冷たい言葉なのだと思うだろう。
だがこの場にいる者は皆、彼女との付き合いはそれなりに長い。
その言葉がアニーを励まし奮い立たせるモノであることに全員が気づいた。
勿論、その言葉を向けられたアニーも。
溢れる涙を拭い去った。涙と一緒に迷いも拭った。
彼女の顔についている目は、とても強い瞳。
「・・・ヴェイグさん。ヒルダさんを呼んできてください」
ヴェイグに半ば強引に連れて来られたヒルダは、アニーの指示を聞いて眉を顰めた。
信じられないような内容だった。
「・・・えぇ!?雷のフォルスをヒトの胸に撃てって言うの!?」
「はい」
アニーは真っ直ぐヒルダを見つめ頷く。
「弱い雷を浴びると停まった心臓が動き出すという研究報告を見たことがあります」
「心臓に衝撃を与える・・・ということか」
ヴェイグの呟きにも、アニーは頷いた。
「一か八かの賭けですけど・・・このヒトを助けるにはこの方法しかありません。お願いします!ヒルダさん!!」
「・・・わかったわ」
ヒルダはベッドに近づいた。死人になろうとしている身体と向き合って、落ち着くために一回深呼吸をする。
スッとガジュマ兵の方へ手を伸ばした。自分がこの兵士を蘇生をすると思うと、手が震えた。
「・・・・・・いくわよ」
その場にいる者全員がヒルダを、アニーを信じた。
静寂に包まれた刹那、ヒルダの手から弱い紫電が放たれた。
紫電はガジュマ兵に当たった。
その衝撃はもう動かないガジュマ兵の身体を揺さぶったが、一回大きく跳ねるとまた静かになった。
床に座り込むの足元に擦り寄っていたザピィとハープが不安げに小さく鳴いた。
「もう一度お願いします、ヒルダさん」
言われ、ヒルダは再び電撃を放つ。
ぎゅっと強く両手を握ってアニーは祈った。
「お願い・・・お父さん・・・!!」
『ガジュマ』だとか『ヒューマじゃない』とか関係ない。
私はこの命が『患者』だから、救いたい。
強く目を瞑っていたアニーが目を開いた時、眼前に広がっていたのは。
息を吹き返したガジュマ兵と、安堵の微笑を浮かべるユージーンの姿だった。
「結構傷が深いですね・・・もぅ、さんったら無茶するんだから・・・」
ぼやきながらだが、アニーは丁寧にの左腕に包帯を巻いていく。
その動作を他人事のように眺め、右手でハープの頭を撫でながらは言う。
「あの場合は仕方がないだろう?」
「足がようやく治ったんですからあまり傷を作らないでください」
・・・そういえば暴走したユージーンを止めた際に負った足の傷がつい最近完治したんだったな、とまた他人事のように思った。
あの後、ヒューマもガジュマもなく全ての『患者』の治療を終えたアニーに、軍は『褒美』とばかりに船を一隻与えてくれた。
閉鎖していた港も特別に使用許可が下りた。
これでベオ平原に行くための手筈は整ったので、の手当てを施してから塔に向かうことになったのだ。
「・・・アニー、その・・・すまなかった・・・・・・」
伏し目がちに、が謝った。
何のことだとアニーは包帯を巻く手を止め、首を傾げた。
「命の差別をする医者など不要だ・・・と言ったこと。アニーはアニーなりに辛かったのに・・・な」
ようやくの言いたいことがわかってアニーは「いえ・・・」と否定した。
「事実・・・ですから。実際、あの兵士さんを見殺しにしてしまう所でしたし・・・」
「でも、ちゃんと助けただろう?アニーは命の差別なんてしていない。・・・アレは未遂だ」
言って、はじーっとアニーの顔を凝視する。
向けられる熱い視線に思わず顔を赤くした。
「・・・最初にこの街に来た時とは別人みたいだな。良い顔をしている」
「少しだけど・・・分かった気がするんです。お父さんの言っていた意味が・・・」
どこか遠くを見つめながらのアニーの言葉には静かに耳を傾けた。
「・・・私、いつかお父さんやキュリア先生のようなお医者さんになりたいです」
は頷く。
「今のアニーだったら、なれるだろうな。・・・・・・その言葉、直接言った方が良いと思うぞ」
「はい」
アニーは柔らかく微笑むと、の手当てを再開させた。
そんな二人の様子を、やや離れた位置からヴェイグは見ていた。
何も喋ることなく、ただの横顔だけを見つめる。
・・・不意に肩を少し強めに叩かれたことに気がついて、後ろを振り返った。
ティトレイが笑っていた。
「ティトレイ・・・」
「・・・信じようぜ。はオレ達の仲間なんだろ?」
ヴェイグの抱いていた感情を見透かして、ティトレイは言い聞かせる。
ネレグの塔の一件・・・あれが原因でを疑うようになっていた。
実は彼女はサレのスパイで、いつか自分達を裏切るのではないか・・・・・・と。
だが、その考えを否定する気持ちも怒りもあった。信じたかった。
ヴェイグは疑惑の感情と一緒に『を信じたい』という強い意思も持っていたのだ。
一方は疑い、もう一方は信じている・・・そのもどかしくて矛盾した気持ちを、たった一言でティトレイは片付けてくれた。
そのことに密かに感謝しつつ、ヴェイグは頷いた。
「俺はを信じている・・・・・・だが、もしのせいでまたクレアが危険な目に遭ったら・・・」
辛そうに、ヴェイグが言葉を紡いだ。
「俺は・・・を許すことが出来ないかもしれない・・・・・・」
「・・・ヴェイグ」
名前を呟いて、ティトレイは俯いた。
アニー克服!の巻
頑張ってるアニーはすごいと思う。ユジアニ最高(関係ない)
ヴェイグさんティトレイにそっと思いの内を告白。悩んでます。
ネレグの塔で夢主が注意を促すなり相談なりしていればクレアが
危ないことになることはなかったのに、と。ある意味ヤツ当たり。
夢主の心情も感じ取ってやってほしい所。でも無理。頭の中クレアで埋め尽くされてるから。
ティトレイは何でも許せる上にヒトを信じる事を恐れない心の広い奴だと思うんだ。