スールズは北の果てにある村だから、いつも肌寒いんだと思っていた。


一緒に暮らし始めたばかりの頃、住み慣れない土地へのの感想はこうだった。

寒いという事は確かに間違っていないが、『いつも』というワケではない。
正午など、太陽が真上に昇る時間帯は非常に暖かく過ごしやすいのだ。



それをに教えてやろうと思った時、すぐに彼女は俺の考えていた事と同じ内容を感想として述べた。
あぁ、自分と同じ事を思っていたんだと理解した時、たまらなく嬉しくなった。



考えだけじゃない。

これからはずっとと一緒だ。



同じ物を一緒に感じていく事が出来る。

同じ道を一緒に歩いていく事が出来る。

いつだって、何をするのにだって隣には彼女が居てくれる。



とても幸せだ。


思わずそう小さく呟けば、「・・・・・・私もだ」と、やはり小さく返ってきた同意の声が耳に入り二人で頬を染めた。











それが今からちょうど一ヶ月前の事。
現在も変わらず自分は幸せを感じている。きっとも同じ気持ち・・・だと思う。







だが、最近の彼女は何処かおかしい。





は「幸せだ」と言葉を紡ぎ、偽りない微笑を浮かべる。
本当に幸せなのだろう。


なのに。

一瞬、その笑顔が曇る時があるのだ。




最初は気のせいだと思っていた。
しかしそうではないと気がついた時、訊ねたくても訊ねられなかった。
何故かはわからない。



ただ聞き出そうとした瞬間、ふと『怖い』と思ったのだ。
・・・それも何故かはわからない。

何となく、その理由を伝えられる事が怖くなった。
聞きたいはずなのに、聞きたくなかった。











でもには笑っていて欲しい。


もう苦しむ姿は見たくないんだ。

はこれから幸せにならなければならないヒトだ。


だから、笑って欲しい。微笑むが自分は何よりも好きなのだから。





なのに、










『怖い』んだ。




























「――――――・・・と、いうワケなんだ」
「・・・お前、オレに惚気たいだけなのか?」
「・・・どうしてだ?」

キョトンとして、ヴェイグは首を傾げる。

一部始終の話を聞いていたティトレイから返ってきた言葉に疑問を抱く辺り、
惚気のつもりは本人にはなく、また自覚も無いようだ。

それが分かって、「何でもねぇよ」とぶっきらぼうに目の前の親友に告げ、ティトレイは差し出された紅茶に口をつけた。


己の親友は、想いを成就させて一ヶ月も同じ屋根の下で暮らしているというのに進展などといっためでたい話をまったく寄越さない。
こちらから聞き出してみれば「一緒に居られるだけで幸せ」なのだとまた無自覚に惚気る。
そんな二人だから『共に寝る』という事は言葉通りでも男女の云々でも当然無く(同じ部屋で寝てはいるらしいが)、
それでは「あの頃」の野宿の状態と同じではないか。

ハッキリ言って、旅をしていた頃の状態とほぼ変わらない。
せいぜい、両想いになっただけでもとんでもない進歩だったと言える。




ティトレイは旅を終えペトナジャンカに帰ってから再び姉と製鉄工場で働き出した。
たまに製鉄の配達がてら、こうして仲間の元を訪れて世間話に花を咲かせるのだ。


つまり、今日はスールズへの配達のついでにヴェイグ達の元を訪れたというわけである。


アニーはミナールでキュリアの手伝いをしつつ勉強していると聞くし、
ヒルダも孤児院を開いて子供達と触れ合っていると聞く。

しかしヴェイグとの二人に関しては何度訪れても停滞前線だ。まったく変わらない。

ようやく本日「相談したい事がある」と言ってきたヴェイグを見て、
進展があったのかと思えば何やらまたもすれ違いを起こしている様子。




まったくこの二人は・・・と密かに心の内に毒づいてまた紅茶を飲む。







「・・・は何処にいるんだ?」


ふと話題の中心であるが居ない事に疑問を浮かべて訊ねてみる。
いや、二人きりで相談しているのだから彼女がこの場に居ない事は何らおかしくはないのだが。

しかしティトレイはスールズに朝から居る。現在時刻は一般的に言うおやつの時間。
仕事を終え、村を一通りぶらりとしてクレアの家を訪ね、ヴェイグとの家に居る今まで、彼女の姿を一度も見ていない。



そう思い問えば軽く目を伏せるヴェイグ。






「・・・・・・・・・・・・墓参りなんだ」


「誰の」と訊ねようとして口を開いたティトレイは、すぐに「誰か」を理解して口を閉じる。

誰の墓参りかなんて、彼女を知っている者ならば愚問過ぎた。




「・・・そっか」
「・・・あぁ」

小さく頷いてヴェイグは窓を見つめた。そのまま、言葉を紡ぐ。

「・・・三日に一度は欠かさずに行くんだ。朝から晩までずっと墓の前に居るらしい」


「だから帰ってくるのは夕方になると思う」とヴェイグは外を眺めて呟いた。




の墓参りの相手・・・それはかつて彼女の主人であったサレだ。

「残忍かつ歪曲した性格で、従順に従っていたまでもゴミのように捨てた最低なヤツ」とティトレイは解釈していた。
しかし彼はヒトの心を否定する一方で自身にも『心』があったのだ。
それを死の間際、一瞬だけに見せた。言葉にせず、行動で。

その光景を目の当たりにした時、大嫌いだったはずのサレがほんの少しだけ、「可哀想」だと思えた。

彼の歪んだ性格が本心を捻じ曲げていたのだと、
認めたくないという思いが自身の心を押し潰してしまっていたのだと気がついたから。

一瞬だけに伝えた想い。アレこそがサレの本心だったのだと思えたからだ。


はそれに気がつけなかった事を後悔した。自分がサレに抱いていた想いに気がつけなかった事を後悔した。
だから一年もの間、自分達と旅をしないで彼の死をただただ悼んだ。


ヴェイグの想いに支えられ応える事で立ち直ったのかとも思っていたが、どうやらそう簡単にはいかないらしい。





「お前もツライよな」
「・・・一番ツライのはだ」


理由があるにせよ、恋人が他の男の事を考えてるなんて良い思いしないだろうにヴェイグはそう言う。
優しい奴なのだ。あくまでの思いを尊重して、自分の想いを後回しにする。


相手を思いやる事は良い事だと思うが、ティトレイから見たらじれったくて仕方がない。




「お前ってホントに損な性格だよなぁ」

いつもいつも他人優先。自分の事は二の次で。
だがそこがの惚れたポイントなんだろうなぁ、などと考える。




「・・・お前が『怖い』のってさ、が遠くに居るように感じるからじゃないのか?」
「・・・・・・すぐ傍に居るのにか?」
「見た目の距離じゃねぇよ。ハートの距離ってヤツだ」



どんなに傍に居たって心が遠くては距離が埋まるわけはない。
きっとは好きなのに、完全にヴェイグに近寄れていないんだ。


ティトレイはそう考えていた。






「一度思いっきりぶつかり合うのも良いと思うぜ?俺達がそうしたみたいによ」
「・・・・・・は殴れない」
「いや、そうじゃなくて」


別に殴り合いをする必要はないだろうとつっこみを入れる。

「ケンカ覚悟で思いっきり心をぶつけ合ってみろよ。夫婦ゲンカだって愛のスパイスなんだぜ」
「・・・夫婦!?・・・別に俺達はまだ・・・!」


途端に顔が赤くなるヴェイグを見てティトレイが笑い出す。
部屋中に響き渡るほど、ゲラゲラ笑いながら目の前の親友の肩を叩いた。


「しっかりしろよヴェイグ!・・・ビビってんなよ」




励ましの言葉を送ってから、カップの中身の紅茶を一気に飲み干した。

































壁にかかった時計からハトが飛び出した。
ポッポ、ポッポと規則的に鳴き出して、八回鳴いたところで満足したハトが時計の中へと帰っていく。


その一部始終を眺めていたヴェイグは視線を窓の外へと移す。
黒色に塗りつぶされた空間に、キラキラと光る星がひとつ、ふたつ、みっつ・・・



「・・・遅いな」

独りきりの静かな空間で、小さなその呟きがやけに大きく聞こえた。
しかしすぐに「自分が居る」と主張するように肩に乗っていたザピィが一声鳴いた。
分かっているよ、と言葉にする代わりに毛並みの良いオレンジ色の身体を撫でてやる。




ティトレイが帰ってしまってから随分経った。
はまだ帰って来ていない。さすがにココまで帰りが遅くなった事はなかった。
何かあったのだろうか。


「・・・ザピィ、を探しに行こう」

こんなに遅いとなると心配ばかりが募ってジッとしてなんていられない。それに待っているのも飽きてきた。
だったら自分から動いた方が良い。

立ち上がったヴェイグに、ザピィが「キキィ!」と元気良く同意の声を上げた。
しかし何故か彼の肩から飛び降りて、入り口の前へと駆け出した。



「・・・ザピィ?」
「キキッ!キィッ!!」


扉の前でピタリと止まったザピィは振り返りヴェイグを呼ぶ。
まるで、「扉を開けてごらん」と言うように。


ザピィに誘われるままに扉に手をかけてゆっくりと押すと、
完全に開く前にゴンッという鈍い音。続いて「痛っ」という小さな悲鳴。

聞き覚えのあるその声を耳に入れて、ヴェイグは開いた扉の隙間から外を見る。




頭を押さえて痛みに唸ると、彼女の肩でそれを心配するハープが立っていた。









・・・・・・見て分かる通りだが、が頭を押さえている理由はヴェイグが開けた扉にぶつかったからである。





「・・・・・・・・・すまない。居るとは思わなくて・・・」
「・・・・・・いや、私もボケッとしてたから・・・」


謝るヴェイグに対して、気にするなとは頭を押さえる方とは逆の手を振る。


勢いよくぶつかったわけではないから、すぐに痛みは引いていく。
アクシデントを乗り越えて、改めて二人で顔を見合わせた。



にらめっこの様に互いを見つめ合って、最初に動いたのはヴェイグ。
が無事に帰ってきた事に安堵を抱いて柔らかく微笑んだ。

にらめっこだったら、負けていた。


「・・・おかえり」
「・・・あぁ、ただいま。・・・・・・・・・・・・」



小さく頷いて、はヴェイグの顔を尚も見つめる。





自分を見つめてくれるヴェイグの優しい蒼の瞳。

氷のように涼しげなのにとても温かい・・・・・・大好きな瞳。







瞬間、無表情でいたの顔がくしゃりと歪んだ。





「・・・?」
「・・・・・・・・・ダメだな・・・」


突然苦しげに表情を曇らせた彼女にヴェイグが怪訝な表情を浮かべていると、
返ってきたのは返事ではなく小さな呟き。


俯いたの表情はどうなっているのか読み取れない。
どうしたのだろうと心配になったヴェイグが覗き込もうと顔を傾けたのと同時に、が顔を上げた。
しかし、表情を確認は出来なかった。









俯いていた顔が上がったとヴェイグの脳が認識した時には、の全身が彼の胸に飛び込んできていた。










?」

もう一度呼びかけてみるが相変わらず返事はない。
胸に縋ったまま動かない彼女に一体どうすれば良いのか、と思考する。











・・・・・・とりあえず、閉めよう。



縋ってきたを放すでもなく抱きしめるでもなくヴェイグが一番最初にとった行動は、





開けっ放しであった扉を閉めた事だった。






































「・・・今がすごく幸せなんだ」


ベッドに座ったがポツリと呟いた。
ヴェイグは静聴しつつ、彼女の隣に腰掛ける。二人分の重みでギシリと軋んだ。


「今までこんなに『幸せ』だと自覚した事はない。ヴェイグが私を幸せにしてくれてるんだって事も分かってる」

でも、と言葉が続く。



「幸せを与えてくれるのはヴェイグだ。
 ・・・・・・じゃあ私がそれを『貰える』のは誰のおかげだ・・・と最近よく考えるんだ」



自分を幸せにしてくれるのはヴェイグ。

では、その幸せは誰のおかげで感じられるのか。





「・・・私はサレ様だと思ってる」


『あの時』、サレ様が守ってくれたから今の自分がある。
ヴェイグと共に暮らし、幸福を得ている。





・・・私の幸せはサレ様の『死』という経過が無くては手に入らないものだった。


「感謝してもし尽くせない。サレ様が私に与えてくれたモノはこんなに大切なモノなのに、
 私自身はサレ様へ、何も応える事が出来なかった。」


だからせめて、忘れないでいようと考えた。
サレ様という存在が居た事、サレ様が自身に与えてくれた事物を刻み込んで忘れないようにと心に誓った。








なのに。




「・・・・・・幸せを感じる度に、一瞬・・・ほんの一瞬だけだけど・・・サレ様を忘れるんだ」

言葉は続く。


「忘れたくないのに・・・ヴェイグと過ごす度にサレ様がどんどん遠くなっていく・・・」




ヴェイグに一歩、歩み寄る度に一歩、サレ様が遠ざかる。
サレが自分の記憶から消えていく事に気がついて、その度に何度も振り返った。



「思い出そうとして必死に記憶を手繰るのに、最近では霞の向こうにサレ様がいてどんなヒトだったかも思い出せない。
 ・・・・・・忘れていく自分が怖くて、思い出すために何度もサレ様の墓に行った」




ヴェイグは黙って彼女の思いに耳を傾ける。
・・・今は、それが大好きなヒトへの最良だと思ったから。





「・・・夜になるまでずっと墓の前に居て、ようやくかすかに思い出してコレで大丈夫だと思って帰ってきたけど、
 ヴェイグの顔を見たら、また霞んで、やっぱりダメだった」



ヴェイグの傍に居たい。もっと彼に近づきたい。
だけどサレ様を忘れたくはない。忘れない事が彼への報いだと信じている。
だが、忘れてしまう。

いっそどちらかを切り離してしまえば一つは守られるのに。


でもそれはどうしても出来ない。
二人への想いはどちらも偽りのない、かけがえないものだ。



・・・・・・我侭だな。






「ヴェイグ」と小さく名を呼ぶ
声に応えてヴェイグが彼女を見れば、助けを求める弱々しく儚い姿が目に飛び込んできた。



「私はお前に甘えて、サレ様を忘れて、一人幸せになって・・・・・・最低だな・・・・・・」





その一言にヴェイグは悟る。

の笑顔が曇った理由を、自分が彼女に聞き出せなくて怖かった理由を。




サレを忘れかけて悲しかったからだけじゃない。

は必死に思い出そうとする度に『俺』を傷つけていると思っていたんだ・・・。


そして、自分は彼女の微笑が曇る理由を訊ねて、彼女を追い詰めてしまう事が怖かった。


だから、訊けなかった。





・・・さて、にどう言葉を返すのが一番良いだろう。
ココで、「そんな事はない」と彼女を否定したいという事はヴェイグの正直な気持ちだ。
しかし彼女はそれを望んでいるのではないとヴェイグは理解している。

は「最低」という事を肯定されたがっている。


そうされる事で自分を辞そうとしているんだ。



だが、ヴェイグには彼女の望みは叶えてやれない。

は誰よりも愛しいヒトだ。最低だなんて嘘でも言えるわけがないではないか。


だから正直に伝える、自分の言葉を。




「・・・それでも、俺はの傍から絶対離れない」


彼女の膝に添えられていたその手をきつくきつく握り締めた。


「どんなに最低だろうと、俺はこの手を離さない」

「ヴェイグ・・・」



何か言いたげなを無視して言葉を続ける。
散々聞き手に回っていたんだ。今度はこちらが発言者になったって良いだろう。

今度は俺の番だ。



「サレを忘れろなんて言わない。サレの記憶を持っているだって俺が好きなだ」

「・・・ヴェイグ」

「完全に忘れてしまって、お前が傷ついても俺は支える。「これで良かった」と思えるくらい幸せにする」

「・・・・・・いや、あの」

「どんなも否定しない。ずっとお前の隣に居る。俺は―――」


「ヴェイグっ!!」


大きく声を上げて、は言葉を遮った。
何だまだ途中なのに、と密かに不満を抱きつつヴェイグは改めて彼女の顔を見る。


・・・先程の悲しげな顔は何処へやら。




目の前に映る愛しのヒトは顔を真っ赤にして目を泳がせていた。


「・・・・・・さすがに・・・照れる・・・・・・・」


呟かれて、ようやくヴェイグも自身の言葉の嵐に気がついて頬を染める。
また、にらめっこのように互いを見つめ合うも、顔は二人とも真っ赤で到底「にらめ」っこではない。
今度、先に笑ったのはだった。


「・・・でも、ありがとう」

幸せそうに笑う。


「・・・私はこれからもサレ様を忘れない。どんなにヴェイグの傍に居ても、忘れたくないんだ。
 ・・・だから、また立ち止まったりすると思う。それでも・・・・・・隣に居て、良いのか・・・?」

迷わずに頷いて、蒼の瞳が上下に揺れた。

「良い。立ち止まったら俺も止まってを待つ。引き返そうとしたら、この手を引っ張って隣に連れ戻す」


だってずっと一緒なのだから。




ヴェイグが微笑む。

その胸に、再度は飛び込んだ。


「大好きだ」


今抱く、精一杯の気持ちを言葉に呟いて。




ヴェイグから返ってきた言葉は彼女の放った言葉と似ていて、少し違うもの。
先程彼女に遮られてしまった六文字だった。






































後日、寝室のベッドが一つだけになったのを遊びに来た仲間達に発見されて、
散々からかわれた事は言うまでもない。


ED後。グダグダと長くなってしまった・・・(汗)
ヴェイグと共に歩む事を望みながらサレを忘れる事が出来ない夢主と、
それでも隣を歩んでいくというヴェイグ。

「二股」と簡単に結論付けられない三角関係・・・。