城の広い通路に破壊音が響き渡る。
ガラス状の何かが割れる音、布が引き裂ける音、何か大きな調度品が倒れる音。
通路を巡回していた兵士も仕事中のメイドも、鳴り響いたその音に震え上がるばかりで誰も音の発生源を確認しようとはしない。
それどころか「お前行けよ」「何で俺が」となんとも情けなく譲り合う声が音に紛れて囁かれる始末だ。
はそんな兵士達に構う事無く、通路を歩く。
進む先は兵士達が恐れる音が聞こえてくる方角。
一人、新人らしい若いメイドが彼女の行く先に気がつき、声をかけようとしたが、隣にいた先輩のメイドに止められた。
躊躇う若いメイドが「でも」と呟きながらを見ると、再び先輩メイドが関わるなと注意して、
二人で凛とした佇まいで通路を歩いていくその背中を見送る。
この音の原因は決して天変地異や怪奇現象では無いのだ。
むしろ、その『原因』が何かを知っているからこそ誰も音源に近づかないという方が正しい。
藪を突いて厄介な目には遭いたくないという事だ。
その感情はヒトにありがちな事だと思うので責められるものではないとは思う。
だから嫌がる兵士にも怯えるメイドにも苦言を漏らす事無く、目標に向かってただ歩き続ける。
音源の部屋に辿り着き、扉の前に立ったところで、また派手な調度品の悲鳴。
音から察するに、陶器で出来た何か。
・・・恐らく花瓶か食器といったところだろう。
それを聞いて「あぁ、昨日より荒れている」とそれだけを思った。
兵士やメイド達のように恐怖心や面倒だと思う気持ちは特に無い。
扉を数回ノックしてみる。しかし返事は無かったのでお構い無しに部屋に入れば、足を踏み入れた瞬間に何かを踏んだ。
視線を下ろしてみると、摘まれてからそう時間が経っていない、比較的真新しい白い花がいくつも散乱している。
花と合わせて散らばる破片と濡れた床を見る限り、やはり先程悲鳴を上げたのは花瓶だったらしい。
「朝方摘んだばかりなのに・・・」
そう呟いて踏んだ花も、破片も一つ一つ拾い上げながらは部屋全体を見渡す。
一言で表すならば「嵐が通り去った後のよう」。
窓に備え付けられたカーテンは破け、棚は容赦なく倒され、それに取り付けられていた引き出しの中身は床にぶちまけられている。
恐らく、そのどれもこれもが庶民が気安く触れるのを憚られるほどの高価なものに違いない。
足下を散らかしている花瓶も下手をしたら小さな家の一つは容易に買えてしまう程の額のするモノなのだろう。
そんな状態にも関わらず「コレは酷い」という感想も持てないのは
どんなに部屋を片付けてもこの状態にされてしまうのがもはや一度や二度では無いためか。
さて、ここまで躊躇いもなく城の調度品を次々に破壊する事が出来る当の部屋の住人はというと、寝台の上に居る。
その寝台も、シーツは皺ばかりで枕は床に落ち、毛布は引き裂かれ羽毛をヒラヒラと飛ばしている状態だ。
ものの見事に主が暴れ回った証を残しつつ、それでもその主を上に乗せているとは何と健気な事か。
それにも関わらず主は不機嫌そうに顔を歪めて握りこぶしを一発ベッドに叩き付けるのだから、本当に報われない。
でも、この部屋の状態も主の不機嫌も、もう慣れた。
「・・・傷口が開きますから安静にしていてください、サレ様」
この言葉を呟いたのだって、今日で三回目だ。
・・・訂正、今日「だけで」三回目だ。
破片と花を全て拾い集めたが立ち上がるのと同時に、部屋を荒らした張本人であるサレが一瞥する。
サレはの顔を一度見ると舌打ちと同時に視線を逸らし、また八つ当たりに己が座るベッドを殴った。
「そんなにいじめたらベッドが可哀想ですよ」
「・・・この間まで自分の感情すらなかったっていうのに、モノにまで同情出来るようになったんだ?」
サレが挑発して笑うが、怒りの気持ちは特に抱かない。
それというのも、目の前の青年がいくら逆立つ感情を振り回して暴れ回っていても、
彼の上半身を包む幾重にも巻かれた包帯を視界に入れてしまえば、その痛々しさに思わず怒りも嘆きも失せてしまう。
動き回って緩んだその白布の腹部が紅色で染まっている状態を見る限り、三回目の忠告はもはや遅かったのだろう。
そんな痛々しい状態の青年へ責めの言葉を贈れるはずが無い。
・・・いや、違う。その刻まれている怪我がからマイナスの感情を奪うのではない。
この怪我も気にせず暴れている眼前の青年の行動が、
己の弱さを見せない為に、『自分』という存在を保つ為に、必死で牙を向き他者を拒絶しているだけのように見えるからこそ
荒れた部屋に対しての文句など吹き飛んで、ただ寄り添ってやりたいと思えてくるのだろう。
そう例えるなら・・・
「・・・・・・捨てられた子猫・・・」
・・・のように見えてくるのだ。
それはさておき、この荒れた部屋と傷口の開いたサレを放っておくわけにはいかない。
まずはサレの包帯を替えよう。そう思い、床に散乱した物の中から真新しい包帯を拾い上げる。
幸い包帯はケースの中に入っていて無傷だ。ケースから包帯を取り出してサレに歩み寄る。
「サレ様、失礼致します」
巻かれた包帯を外しにかかっても抵抗は無い。
数日前はこの重傷患者の何処にそんな力が、と思うほどの抵抗をされたものだった。
それを思えばサレもこの状況に慣れたというか、諦めがついているという事だろう。
世界の混迷が終わり、国と民を救った女王が永遠の眠りについて早くも二ヶ月が経とうとしている。
これから国を統治していかなければならなかった女王の崩御。
その事態が再び国を滅びに向かわせてしまうのではと危ぶまれた事もあったが、
女王の側近であったミルハウストが先頭に立ち、ヒューマ・ガジュマ両種族も互いに手を取り合い、
そうして少しずつ、少しずつと混沌が残した世界の傷を癒してきた。
それは、導く者が必要とされるが、統べる者は不要となったという事。
世界の形は王を必要としない姿へと生まれ変わった。
全てが等しく、全てが同じに。
女王 アガーテ。
彼女が愛した青年が、彼女の愛した国と民を、彼女が願った世界の形へと生まれ変わらせようとしているのだ。
滅びへ歩んでいた世界が元に戻るまで。
それまでにはたくさんの犠牲と代償、失われていった命があった。
本来、サレはそのうちの一人だった。
自他共に獣王山で死んだものと思われた彼は、奇跡的に一命を取り留めていた。
それがサレの苛立ちを募らせる。
獣王山で敗北し、自尊心を大いにへし折られ生き恥を晒したと感じていた彼は、生きたいと望んでいたワケではない。
むしろ「殺せ」とまで相手にせがんだほどだ。
それなのに、生きていれば、あの屈辱を何度でも思い出す。
舐めた辛酸が身体中を駆け巡り、生き延びた自分を嘲笑う。
いっそ自害出来れば良い。
だが、それは自分が『負け』を認めた事になる。憎くて仕方なかった相手に屈した事になる。
そんな事は絶対に出来ない。自身のプライドが許しはしない。
サレはそういう男だった。
はそれを理解しながらも、その望みを叶えてやる事はしない。
願いを聞いてやりたいという気持ちが無いわけではないが、従順に従っていたかつてとはもう違う。
サレが死にたいと思っているのに対して、は生きて欲しいと願っている。
だから、部屋を荒らされようと抵抗されようと、苛立ち狂う彼に寄り添い、その傷ついた身体に手当てを施す。
死にたいが死ねない、生きたくはないのに生かされる。
死ぬ事がサレのエゴなら、生かす事はのエゴだ。
そして軍配はに傾いた。
根負けし、無抵抗で包帯を巻かれる彼の姿こそがその証拠だ。
「少しだけですけれど、出血の量が減りましたね」
巻かれていた包帯を解いて開いた傷を確認しながら、そう呟く。
部屋が荒らされた回数に比例して、傷が開いたのだってコレが一度目二度目ではない。
何度も行なってきたこの行為が無駄にはなっていないという事に思わず笑みがこぼれる。
その表情を傍らで一瞥して、面白く無さそうにサレは鼻を鳴らして目を逸らした。
この程度なら・・・と傷の状態を見て、治癒術をかける。
出血は止まり傷は閉じたが、何せ腹を貫通した傷だ。怪我そのものを治す事はまだまだ出来そうにない。
手早く新しい包帯を巻き直し、手当てを完了させて上着を羽織らせる。
「目を覚ましてからの方がやっぱり治りは早いです」
「・・・・・・」
返事は無いが、それでも良い。
こちらを見もしない青年の不機嫌顔に苦笑を浮かべながら、次に部屋の片付けに取り掛かる。
思い返せば、サレが意識を取り戻したのはつい先日の事だった。
生死の境を彷徨い、何度も危篤状態に陥りながら、ようやく目を覚ましたのは十数日前の出来事。
現在、アガーテが住んでいたカレギア城は今後の世界の在り方を話し合う場として利用されている他に、
今回の天変地異で身寄りを無くした者や怪我をした者を受け入れる場所として開放されている。
つまり獣王山で倒れた直後、サレは続いて行軍してきた部下達に城へ収容され、今に至るというワケである。
「・・・・・・」
ふと、だんまりを決め込んでいたサレが名前を呼んだ。
少し驚きつつ、振り返るも視線は交わらない。呼びかけた本人は窓の外を眺めていた。
「・・・・・・何でヴェイグ達と一緒に行かなかったんだい?」
そう呟いて、サレは窓縁に肘をかけて頬杖をつきながら、外を眺める。
アガーテの死後、彼女の死を看取った者達の中で二つの道が生まれた。
分かれ道だが、最後には一つになる道。
一つはミルハウストと共に表立ち、人々を導いて復興を手助けする道。
もう一つはヴェイグ達と一緒に世界を回り、人々の心を繋げていく道。
は仲間であったヴェイグ達と共に行く道も、ミルハウストと共に国の復興に尽力する道も取らなかった。
がヴェイグに好意的な感情を寄せている事はサレが見ても明らかだった。
その二つの道のどちらかを取るとしたら絶対にヴェイグの歩む『再誕の旅』とかいうものを選ぶと思ったのに。
しかしサレが意識を取り戻した時、目の前にはが居た。
彼女はどちらも選ばず、一人残る事を選んだのだ。
サレが、まだ生きていると知ったから。
「僕に同情してるのかい?生き恥を晒して、トーマにも裏切られた独りぼっちで可哀想な僕の事を」
何故は残った。ヴェイグではなく自分を選んだ。
もしも理由が哀れみであるのならばこれ以上の屈辱は無い。
完膚なきまでに叩きのめされた上に死ぬ事も出来ず、更には共に行動してきた者に裏切られた。
それを悲しいと嘆く事は自分の中では決してあり得ないが、それを目の前の少女に同情されるなど心外だ。
勝手に可哀想だと決めつけられては惨めで仕方ないではないか。
そう、これは自分を選んだ理由を知る為だけの問い。
決して彼女がいけ好かないあの銀髪の青年をどう思っているかを知る為の詮索ではない、そう、決して。
「・・・貴方を、可哀想と思っているわけではありません」
真っ直ぐに、サレを見つめる。
「獣王山で貴方が死んだと思った時、たくさん後悔をしました」
右手に巻かれた紫色のハンカチを見つめる。
「貴方の傍に居た時も、貴方と逢う事があった時も・・・
いくらでも機会はあったのに、私は『貴方』をしっかりと見る事が出来なかった」
一緒に居た時間は長かった。傍を離れ、ヴェイグと行動を共にしていた時でも邂逅した機会はあった。
それでも、そのいくらでもあったチャンスに甘えて、まともな会話はしなかった。
『主人』ではなく『サレ』という一人のヒトとして彼を想っていたのに
彼が何を想い、何を感じていたのかを知る事が出来なかった。
最後の最後で全てに気がついた。
その時には、気がついた事が遅かった事を嘆いた。応える事も伝える事も出来なくなった事を悔いた。
だが少女の大きな後悔を天が哀れんだのか、サレは生きていた。
きっとコレこそが最後のチャンスなのだろう。
目の前のヒトとも分かり合えずにいて、どうして世界中の人々と心を通わせられるというのか。
そう思えば、自分の取るべき行動など考えなくても出ていた。
今度こそ、絶対に。
「私が貴方と交わした言葉は少なかったから・・・だから、私はもっと貴方と話がしたいのです」
その時間が与えられる事を許されたから。
・・・自分がそうしたいから。
だから自分はサレの元へ残った。
残った理由を答えれば、微かに向けられるサレの視線。
しかし瞬きの動作と同時に視線はまた外へと向けられた。
「馬鹿だね、君は」
「はい、馬鹿です」
ニコリと微笑んでは続ける。
「私はヒトですから」
「私はヒト」
その言葉の意図を汲み取って今度こそサレがへと向き直る。
人形でもなく、奴隷でもない。
同じヒトとしてサレと言葉を交わし、心を通わせたい。
「徒労だよ。そんな事してて良いのかな?」
サレが目を細める。
「・・・旅をしている間にクレアちゃんや素敵な女の子と良い雰囲気になって、の事なんて忘れるかもしれないよ?」
誰が、とは表現せずに更に「ヒトの心なんてモノは所詮そんな程度さ」と付け加えた。
・・・が、その挑発に不安になることも無くはただ笑った。
「・・・・・・旅が終わったら迎えに来る、と言ってくれましたから」
旅立つ前に、彼はそう告げた。
俺は待っているから、のしたい事をすれば良い。
旅が終わったら必ず迎えに来る。だから、も待っていてくれ。
そう言って笑った銀髪の青年の顔は今でもハッキリと覚えている。
スタートラインは違ってやや遅れ気味だが、忘れ去られたり、置いていかれる事など絶対にあり得ない。
必ず迎えに来ると、待っていてくれと言ってくれたから。
自分はあの言葉を信じている。『彼』が取り戻した笑顔に嘘偽りの心は無かった。
「私は、ヴェイグを信じます」
「・・・・・・お熱いね。反吐が出そうだよ」
心底うんざりした表情でサレが睨みつけてくる。
何か投げつけてやろうとも思ったみたいだが、残念な事にもう周りに投げられそうなものが無い。
余談だが、サレが散々物を投げる理由は、まだ自身のフォルスを操るまでに心身が回復していないからだ。
苛立ちを物に当てることで解消しているのである。
逆に言えば、現在のサレには物を投げるくらいしか反撃の術が無いという事でもある。
「・・・それに、貴方とは獣王山での口付けの件もハッキリさせておかなければいけませんから」
瞬間、枕が飛んできた。
・・・まだ近場に枕があったようである。至近距離で投げつけられたソレを、片手で受け止めた。
「・・・・・・・・・アレは気の迷いだよ」
「例えそうであってもそのままにしておけるワケがありません。こうしてお元気なのですからちゃんと教えてくださいね?」
「・・・・・・・・・君、怪我が治ったら覚悟しておきなよ」
好き勝手言えるのも今のうちだと脅してみれば、
「では今までに伝えられなかった言葉を今のうちに言わせていただきます」と返ってくる。
・・・・・・自分の手元から離れてから、随分と反抗的になった気がする。それとも、この強情ぶりが彼女の本来の性格だったのか。
それはどちらだとしても構わないが・・・
「・・・まぁ、良いさ。君が僕を選んだ・・・それは事実みたいだからね」
つまりそれはサレにもまた、『チャンス』が与えられたという事。
の腕を掴んで、そのまま引き倒す。寄せられた身体はサレに覆いかぶさるように彼の胸に埋まった。
鈍った身体でも軽々と寄せられる彼女の軽さに内心、驚いた。
巻かれた包帯を崩さないように注意しつつ、何事かとが見上げれば、余裕めいた青年の微笑。
何度も見てきたその微笑は数ヶ月ぶりに拝んだものだった。
「君は僕のモノ、だよ」
目を細めながら指先での頬を撫で上げる。
思わず強張ったその身に、髪を梳く事で更に追い討ちをかけた。
「それを教え込む時間はたっぷりある。・・・ヴェイグが約束を守って迎えに来た時、『君は』どうなってるだろうね?」
唇を撫でる。
迎えに来ると言ったあの青年よりも先に奪ったのは自分だ。
それを思うと、散々己に恥辱を味合わせてくれた彼に対して、優越感が沸いてくる。
そう言えば、彼は『その時』どんな表情をしていたのだろう?
見られなかったのが惜しい、実に惜しい。
だったら、これから見れば良いじゃないか。
「ヴェイグが帰ってくるまでの時間・・・・・・楽しもう、」
は冷たい微笑を浮かべるサレを黙って見上げる。
物を投げるしか反撃の術は無い。
・・・どうやらその考えは間違いだったようである。
「えぇ、サレ様。私も貴方と分かり合う時間が欲しいから、たくさんお話をしましょう」
負けまいと笑った。
相変わらずの青年に若干の嬉しさのようなものすら感じながら。
サレ様NTRに目覚める。
IFエンドの一つ。「もしもサレが生きていたら」の話。
サレの性格もまた個性であり「一人のヒトの心」なんだなぁと思ったら
改心させたりヴェイグ達を認めさせる必要性はないという考えに行き着きました(笑)
そして夢主はそんな変わらない『サレ』が好き。
ちなみにヴェイグとは遠距離恋愛中です。