スールズの朝は季節を問わず霧が村を包む。
少し肌寒い朝に、ヴェイグはいいかげん懐かしさを覚えなくなってきていた。


スールズに戻ってきて、達と別れてあっという間に五日が経った。

クレアは、バルカから帰ってきても未だに目を覚まさない。
ヴェイグはポッカリと空いた心に苦しみながら、彼女の目覚めを待った。









五日目の昼。

クレアはベッドの中で小さく唸り、躊躇うかのようにそっと目を覚ました。



「クレア・・・気がついたのか・・・?」

ヴェイグはクレアが目覚めると嬉しそうに、
しかし笑みは浮かべず(浮かべられないのかもしれない)、ふっと表情を柔らかくした。

クレアは気遣ってくれているヴェイグを見て、少し怯えた口調で小さく呟く。


「誰・・・ココは・・・?」
「俺だ、ヴェイグだ。ココはスールズだ。・・・・・・帰ってきたんだ」


クレアは不思議そうに二度三度、瞬きをした。


「スールズ・・・?」
「儀式は失敗した。終わったんだ。気を失っているお前を、俺の仲間が運んでくれたんだ」


ヴェイグの言葉を聞いて、クレアはぼぅっとした虚ろな瞳でゆっくり自分の身体を確認し始めた。


両手を眺め、自分の顔に触れる。


やがて、クレアは俯き小さく震え出した。
それに気づき、ヴェイグはそっと震えるクレアの手を握る。


「大丈夫か・・・?無理をするな・・・」

ヴェイグが心配して顔を覗き込む。

その時だ。
二人の傍にいたザピィはクレアを警戒するように鳴いて、部屋の隅まで離れた。


「・・・ザピィ、どうした?」
「ヴェイグ、クレアの様子はどうだい?」


クレアの両親マルコとラキヤが階段から降りてきて、ヴェイグのザピィへの疑問は一時止められる。

一方、マルコとラキヤは娘クレアの目覚めに気づいて、そちらに駆け寄った。
ラキヤがギュッとクレアを抱きしめる。


「あぁ・・・クレア・・・良かった・・・良かった・・・」
「クレア、どこか痛むところはあるか?」
「目が覚めたばかりだから、まだ少しぼぅっとしてるみたいです」

クレアの様子を伝えれば、ホッと微笑むマルコの顔。


「そうか・・・。ヴェイグ、本当にありがとう」
「・・・おじさん、俺、水汲んできます」

少しクレア達をそっとさせておこうと思い、ヴェイグが台所へ足を進める。
・・・と、何故かザピィが肩に乗ってついて来た。





まるで、クレアの傍にいるのが嫌だというように。
























台所で水を汲んでいる最中、ふとヴェイグは己の手をじっと見た。


「そういえば・・・クレアは普通に触れたな・・・」

クレアの手は特に何も気にせず、普通に掴めた。
なのにの手は引き止めるために握っただけで恥ずかしかった。

一体、自分の中でクレアとの何が違うのだろう。


水を汲んでいることも忘れ、ヴェイグは考え込んでいた。



ヴェイグの瞑想を邪魔したのは、扉を突然開けて家に入ってきた友人、スティーブだった。


「あ!ヴェイグ、ちょうど良かった。すぐに集会所へ来てくれないか?」
「・・・何かあったのか?」
「ポプラおばさん、お前の事可愛がってただろ?お前の言う事なら聞いてくれると思うんだ。とにかく、頼んだよ!」

言うだけ言って、スティーブは家を出て行く。

何かとても焦っているようだった。



「ポプラおばさん・・・?何があったんだ・・・・・・?」


ポプラおばさんはピーチパイを作るのが非常に上手いガジュマのおばさんだ。

明るくて優しく、身寄りのないヴェイグをとても気遣ってくれた。
そんなおばさんが集会所で一体何をしたというんだろう?

おばさんが開催するピーチパイ・パーティはまだずっと先の筈だ。





疑問を抱えつつ、スティーブに言われた通り、ヴェイグは集会所へ行く事にした。


























集会所では、ポプラおばさんが集会所の入口に立って村人達に何かを怒鳴っていた。


ヴェイグは目を丸くした。
彼女が癇癪を起こすとはとても思えない。



「何があった?」
「ポプラおばさんが入口の所に居座って中へ入れてくれないんだ」

スティーブが困りきった表情で言うと、ポプラはその声が耳に届いたようで今度はこちらに叫ぶ。


「元々はアタシ達ガジュマが建てた集会所なんだ!
 アンタ達みたいなろくでなしのヒューマに使う権利なんてないんだよっ!!」


ヴェイグやスティーブが突然のポプラの豹変に驚いていた時、
傍らでポプラの様子を見ていたヒューマの娘が彼女の言動に堪忍袋の尾を切った。


「何だって!?ヒューマなしじゃまともに金勘定さえも出来ないクセに!」

娘が言うと、ポプラはそちらを睨みつけて怒鳴り返す。


「そうやってヒューマは綺麗で楽な仕事ばっかり!ガジュマには汚くて辛い仕事を押し付けてるんだっ!!」



「・・・確かに・・・ポプラおばさんの言う通りだ・・・なんかコレって・・・理不尽じゃないか?」


一人のガジュマの男がポプラの言葉に同意して、ポツリと呟いた。
それを聞いて、ポプラが大きく強く頷く。



「そうだよ、こんな汚いヒューマ達と暮らす事なんてないんだ!!」



「何だと!?頭も使えないガジュマのクセにっ!」
「力仕事の一つも出来ないヒューマのクセにっ!」


もはや売り言葉に買い言葉の乱闘間近。

ヴェイグは二種族の間に入った。


「落ちつけ!喧嘩は止めろっ!・・・ポプラおばさん、何故こんな―――」


ヴェイグがポプラに言おうとしたその時、ポプラの腕がヴェイグの首を絞め上げた。


「うるさいんだよっ!ヒューマなんて・・・いなくなっちまえば良いんだっ!!」
「・・・っ!・・・おばさん・・・やめろ・・・っやめてくれ・・・・・・!」
「ポ・・・ポプラおばさん!それはちょっと・・・やりすぎ―――」

苦しさで声の掠れるヴェイグを見て、さすがに度を超えていると驚いたガジュマの男がポプラを止めようとする。
しかし、ポプラは止めるどころか更にヴェイグの首に纏わりつく自身の指に力を込めた。


「前々から思ってたんだよ・・・アンタ達みたいなヒューマなんて死んじまえってね・・・!」


手を一向に緩めないポプラの頭上に突然、雨雲が出て雨を降らせた。



頭を冷やせとでも言うように。






「ヴェイグさん!」




アニーがヴェイグの元へ駆け寄る。





彼の首に、もうポプラの手はなかった。






























「・・・助かった、アニー。ありがとう」

クレアの家に戻ったヴェイグとアニーはマルコの傍で先の件を話していた。


「しかし・・・どうしてポプラおばさんはそんな事をしたんだ・・・」
「わかりません・・・」

ヴェイグはそっと目を逸らした。


あんなポプラおばさんは見たことがなかった。
一体何が起こったというのだろう。





「この村だけではありません。私・・・ここに来るまでに似たような光景を何度も見ました。
 ・・・・・・ガジュマであるあのヒトにも、異変が・・・・・・」

「あのヒト?・・・まさかユージーンもポプラおばさんのように?」

ヴェイグが問うとアニーは自分の膝を見つめるように俯いた。


「・・・わかりません。でもうわごとの様にヴェイグさんや他の皆を呼んでくれって、何度も・・・」
「お前・・・ユージーンのために、俺のところまで・・・?」


アニーはユージーンを父親の仇だと憎んでいた。
しかし旅の最中ユージーンがアニーを気遣っていた事から、彼女の心境も少し変化していた事は知っていた。

少しはユージーンに心が開けたのだろうか。



そう思っていたヴェイグに、アニーは首を横に振り、強く否定する。
まるで自分の本心はそれなのだと自分自身に言い聞かせているように。


「違います!マオに頼まれたんです!マオはあのヒトの近くにいたいって言うから・・・だから私が・・・」


アニーの強い否定に、ヴェイグは黙り込む。



気を取り直して、アニーは続ける。



「ヴェイグさん、一緒に来てくれませんか?」
「だが、俺は・・・・・・」


躊躇うヴェイグの肩を、マルコは優しく叩いた。

「クレアなら心配いらないよ。行ってあげなさい。クレアを救うため、お前と一緒に戦ってくれた仲間のために」
「でも俺は・・・」


ヴェイグの心配を和らげるように、マルコは温かく笑った。


「もしお前が行かなかったら、クレアはきっと自分のせいだと思って悔いるだろう。だから・・・」


「・・・・・・おじさん、ありがとう。・・・行こう、アニー」
「はい!」















クレアの家を出て、すぐにヴェイグは思い出したように言った。


「そういえば・・・ティトレイやヒルダ、・・・なんかは呼んだのか?」

「それが、ヒルダさんやさんは行方がわからなくて・・・。
 私はミナールから真っ直ぐにここまで来たので、ティトレイさんは呼んでないんです」
「ティトレイ以外は行方知れずか・・・」


少し残念そうに、ヴェイグが息を吐く。





「・・・ティトレイに、声をかけてこよう。呼ばないと後でうるさい。それに・・・頼りになる」

ヴェイグの提案に、アニーは強く頷いた。




「ミナールからなら馬車が出ています。そこでペトナジャンカを目指しましょう」





























ケケット街道は長い。
出発した時間も太陽が真上から降りてこようとしていた時間だったことも手伝ってか、あっという間に夕刻になってしまった。

夜道を無理に進むのは危険だと、ヴェイグはクレア救出の旅の時点でユージーンから教わっている。


ちょうど近くにあった街道沿いの小屋で夜を明かすことになった。





小屋で食事をしていると、ヴェイグは少し食事の手を止めて、呟く。


「それにしても・・・一体ユージーンの身に何が起こったというんだ?」
「わかりません。・・・ただ、なんだか世の中全体の雰囲気がおかしくなっている様な気がします」

アニーの言葉で、ヴェイグは昼の出来事を思い出した。

あんなに自分に優しくしてくれたポプラが憎々しげに自分を睨み、首を絞めた事を。




「ポプラおばさんのことも、その一つというわけか。・・・マオはユージーンの所か?」
「・・・とても心配していました」
「記憶を失ったマオにとって、ユージーンは父親のような存在なんだろうな」

ヴェイグの言葉を聞き、アニーは小さく「父親・・・」と呟いた。


それから少し間をおいて、アニーは話し出す。


「でも私・・・マオのことは嫌いじゃないけど、あのヒトと仲良くしているのだけは・・・」
「それは、ユージーンが父親を殺したからか?」
「・・・はい」

アニーは小さく肯いた。





「・・・そうか。だが、俺にはユージーンが罪もないヒトを殺すようには思えない。本当は・・・お前も・・・」
「違います!そんな訳・・・ないじゃないですか・・・」
「だったらどうして、ユージーンのことで、わざわざ俺の所へ来たりしたんだ?」
「それは・・・マオが困ってるから・・・私は、私は・・・ガジュマなんて信じられません」

アニーが言うと、ヴェイグは呟いた。


「『ユージーン』じゃなく、『ガジュマ』か・・・」


「・・・ヴェイグさんはガジュマやヒューマとか、ハーフやホーリィ・ドールとかってヒトの見方をした事ありませんか?」

アニーが問う。
ヴェイグは迷わずに答えた。



「今まで特に種族を意識したことはなかった。お前達と旅をして、を見て、種族の問題に何度もぶつかった。
 ・・・だがそんなコト、取るに足らない事だと思っていた」


「あのガジュマのおばさんの騒ぎを目の当たりにしても、その考えに変わりはありませんか?」

アニーの質問に、ヴェイグは口を閉ざす。
少しの間 考え込むように俯いていたが、ふいに口を開いた。


「なぁ、アニー。将来医者になった時、ガジュマの患者が来たら、お前はどうするんだ?」
「それは・・・・・・・・・・・・質問に質問で返さないで下さい・・・」

「それはユージーンの口癖だ」
「・・・・・・ヴェイグさんのばか・・・」


食事の途中だったが、呟いたアニーは二階の宿へ足を運んでいく。
照れているような怒っているような複雑な顔をしながら。


ヴェイグはそんなアニーを見て小さく息をついた。




『嫌!ガジュマに触られたくないのっ!来ないで・・・来ないでっ!!』


『どちらにも石を投げられた私の気持ちが、アンタにわかる訳ない!ハーフになんて・・・生まれたくなかった・・・』


『私は薄汚い奴隷人形だぞ・・・?』


『うるさいんだよっ!ヒューマなんて・・・いなくなっちまえば良いんだっ!!』



・・・何故、そんな風に思ってしまうようになったのだろう。


何かが、何かがゆっくり壊れているような気がする。










悩みの種がまた増えて、ヴェイグは頭を抱えた。


ヴェイグさん旅立つの巻。
ヴェイグ視点だったので夢主は出てきてませんが・・・まぁ気にしない。(コラ)
だって夢主の設定にだって目立たない事もあるって書いたもん・・・。

ヴェイグさん、クレアと夢主に抱く気持ちの違いに気づけません。
そしてちゃっかり逢いたがってます。ニブちんだから全然自覚ないけどね。

次回で夢主の秘密がちょこっと明かされる・・・ハズ(オイ)