探り合い
上の部屋から聞こえる三味の音と女の戯れる声が耳に入ってくる。
煩わしい、と思いつつも気に留める事無く己の唇に紅を差す。
目の前に置かれた鏡に己を映し、さてこんなものだろうと最終確認。
その時、静かに襖が開き、「疾風様・・・」と控えめに声をかけられた。
振り向かなくても分かる。声をかけたのは世話人『役』の菊千代だ。
菊千代が声をかけてくる時は二通り。
この遊郭に入ってきた他国の情勢の報告と、
その『情報源』が引っかかった時だ。
「お客様です。」
・・・今回は後者らしい。
さてどんなカモが釣れたのやら。
「どんなヤツだ」
「武田の・・・島左近です」
・・・武田の島左近。
確か武田が上洛してきているという情報は幾日か前に菊千代から聞いた。
今ココに武田の者が居るという事は、三方ヶ原で徳川軍を撃退してきた・・・という事だ。
このまま依然上洛を目指すならば、織田との戦いは必然。
・・・我が主、光秀様の身の危険にも繋がってくる。
――――ならば。
「武田か・・・今の情勢、事細かに話して貰おう。」
「行ってらっしゃいませ、椿姐さん」
深く頭を下げる菊千代から椿の簪を受け取り、頭につける。
それは忍の疾風から、遊女の「椿」へと完全に姿を化かす、儀式のようなもの。
椿の簪、椿の着物。
「疾風」は一輪の「椿」になりて、向かうは武田の軍師、島左近の元。
「失礼致します」
女を演じる時の俺の声は「まるで鈴の音のようだ」と遊郭の忍達は言う。
声は女の真似事が可能だ。だが男の身体ではどう足掻いても女の身体の真似事は出来ない。
しかし、バレない自信はある。
こうして女の格好をして遊郭で情報収集しているのがその証拠となるだろう。
それはともかく、下げていた頭を上げて本日の情報源を確認する。
・・・なるほど。 女好きそうな顔をしている。
そんな事を考えている俺に気づく事無く、
当の情報源は呑気に酒を煽りつつ、こちらを見て「ほぅ」と声を上げた。
「・・・これはまた見事なべっぴんさんですねぇ」
「恐れ入ります」
少し頬を染めて俯いてみる。
「まっ、そんな所で話もなんですし、もっと近くに来てくれやしませんかね」
「・・・話?」
「えぇ、少し。さ、隣に来てください」
そう言って、脇の空間を軽く叩いて隣に座る事を促す男。・・・あぁ、島左近と言ったか。
左近の言う通りに隣に座れば、肩に手を回される。
・・・コイツ、手馴れてるな。
「本当はこのままお楽しみといきたい所なんですが、今回は仕事なモンでして」
「まぁ・・・お仕事、ですか?」
男の顔を覗き込んで、口元に手を添えながら小首をかしげる。
紅葉がよくやってた仕草だが・・・よくこんな搦やかな動きが出来るもんだ。
・・・やっぱり女は分からん。
「えぇ、主が織田の情勢を探れと俺に命じてね。」
「それで私の元へ?」
「はい。遊郭の方ってのは情報が豊富ですから、色々聞けるんじゃないか・・・と思いまして」
確かに遊郭というのは無法地帯である。
・・・いや、遊郭がというより『遊郭のある場所』がという言い方が正しい。
遊郭は河原にある。
河原は公権力が及ばぬ無領地帯。
つまりは誰の領地でもなく、様々な者がやって来る。そうすれば自然と情報が集まってくるものだ。
遊郭は女共と一夜の甘美に浸る場所、という以外にも情報の交わし合いが為される場所でもある。
今回、左近は織田の情勢を知る為に遊郭に足を運んだという事だ。
・・・ご苦労な事だ。
「何か織田について知っている事を教えて欲しいんですよ」
「私の知る限りの事でよろしければ、喜んで」
知りません、と嘘を吐く事も出来る。だがそれはしない。
そんな事をして、「この遊郭には良い情報が入ってこない」などと噂が立てられたら商売上がったりだ。
何より、新たな情報源が店に来なくなる。それだけは避けなければならない。
だから少しは取るに足らない情報を与えてやる。さり気なく武田の情報を引き抜いて。
肩に回した手に力が籠められる。
左近を見れば、傍にいる女が気絶しそうなくらいの甘い微笑をこちらに向けていた。
そして一言。
「頼みます」
左近へ与えてやる織田の情報は一件有力そうで、大した役に立たないものばかり。
織田の主力である家臣達の名前、大体の年齢。
織田信長様は南蛮の品を集める事が好きだとか、
ついこの間、信長様が「猿」と呼ぶ家臣が手柄を立てて褒められたとか、
苛烈極まりない信長様ではあるが、政は的確で国は豊かであるとかせいぜい世間話程度。
全ての情報は織田家臣がここで愚痴を吐いていったのだと伝える。
その他にはそうだな・・・せめて鴉の奇行は笑い話として教えておいてやろうか。
こちらからは、三方ヶ原で戦があったそうだが・・・と訊ねてみる。
左近の身の心配と徳川軍を退けた武田軍の力の称賛をし、是非その武勇伝を語って欲しいとねだる。
左近は気を良くしたのか、その時の軍略をとてもとても小さく、簡素に説明した。
遊女に軍略の理解は難しいと考えたからなのか、警戒をしているからなのか。
この男の場合、前者のような気がしてならないが、どちらにせよ左近からの情報も大きな利益にはなりそうに無い。
一見、傍から見れば話が弾んでいるようにも見えるだろうが
結局の所互いにとって有力情報を手に入れてはいないのだから実際は意味の無い会話だ。
これ以上深追いして怪しまれるのもいただけない。
渋々、詮索を入れる事を止める。
・・・役立たずだな。
左近に向けたものか完璧な任務を果たせない己に対してなのか。
・・・いや、どちらでもあるのかもしれないと思いつつ、
心の内に毒づいた。
「・・・満足いただけたでしょうか?」
「ちょーっと情報量が少ないんじゃないですかねぇ?」
「まぁ・・・左近様は欲張りですわ」
クスリと笑みを浮かべ愛らしさを装い、自然な動作で左近の腕から逃れようとした瞬間、
肩を抱く力が、一層に強くなった。
それは『女を可愛がってやろうとする男』の力ではない。
かと言って、『女の色香に酔って獣となった男』の雰囲気でもない。
左近がその身に取り巻いていたのは、明らかなる敵意。
それを受け取っていたのは、自分だった。
「さて・・・アンタは織田の忍、って事で良いんですかね?」
「・・・!」
コイツ・・・最初から気がついていて・・・
取り繕わねばと、驚愕の中でも崩す事のなかった微笑を深めようと唇を上げる。
が、それよりも前に左近がまるで屋敷中を透視し見渡すかのように部屋を一瞥していた。
「俺の見立てじゃあこの遊郭の女の半分は忍・・・だと思うんですが・・・どうでしょう?」
また、あの甘い微笑を浮かべる目の前の男。
しかし、纏うのは殺気に似た鋭くて冷たい空気。
例えるならば、喉元に刃を押し当てられているような感覚だ。
「左近様・・・?一体どうなさったのです?」
いっそこの場で殺してしまおうか。
いや、部下が遊郭から帰って来なかったとなれば武田に怪しまれる事は必定。
そうなればこの遊郭の本来の意味がばれてしまう事も時間の問題になってしまう。
・・・・・・それだけは避けねばいけない。
「見た目も声も美しいお嬢さんに変えられる・・・忍ってのは大したもんですねぇ」
呑気に感心している左近。
瞬間。
視点がぐるりと動いて、天井を向いて止まった。
天井より手前に見えるのは押し倒してきた男の顔。
「軽いですね。これも忍の特徴ってヤツですか?同じ男に押し倒されるのは恥ずかしくは無いですかね?」
左近が笑みを深める。
その歪んだ唇から「だが、」と言葉が続いた。
「男でも・・・アンタの事は気に入りましたよ。」
そう言って男はその身を引いた。圧し掛かっていた重みが消えていく。
「ま、何にせよ。情報はありがたくいただきましたよ。」
立ち上がる動作の途中で、慣れた手つきで左近が膳の上に、懐から出した重みのある音がする袋を置いた。
「手は出していないので情報料と酒代で勘弁してくださいよ。今回は仕事で来ているので、大した持ち合わせじゃないんですよ」
最初に言った言葉をもう一度口に出して男は笑う。
「・・・今日はありがとうございました。
・・・またお逢いしましょう?」
三度目のあの「微笑」を浮かべてから、
左近は襖の向こうへ消えた。
一人残った部屋で押し倒された際に乱れた着物を直す。
思い出されるは男のあの微笑。
相手を確実に手玉に取れるという絶対の自信と確かな力。
掴みどころの無い、逆に絡み取り捕らえようとするあの目。
何もかもが不愉快だ。
椿は、頭に飾った椿の簪をゆっくりと引き抜く。
遊女から忍へと戻った疾風は、握り締めた簪を左近が消えて行った襖に向かって投げた。
まるで嘲笑うかのように壁となって阻んだ襖に、簪が突き刺さった。
左近と疾風。
この二人の探り合いが書きたいと思って、月葵さんに許しを得て書かせていただきました。
あかりんお借りさせてくださってありがとうございます!とても楽しかったです^^
何だかあかりんがニセモノくさいのは・・・書き手がアタシだからという事でお許しを・・・
押し倒された時点で本物のあかりんなら手か足か何かしら反撃をすると思うんだ。
ちなみに遊郭と川原は『花の慶次』ネタだよ!花の慶次面白いよ!!と宣伝をしておく(笑)